静岡ブルーレヴズ|SHIZUOKA BlueRevs
クラブオフィシャルライターを務める大友信彦さんによるマガジン。各種試合の観戦記や、選手スタッフインタビューなど、静岡ブルーレヴズの魅力を最大限に表現します。 ー大友信彦(おおとも・のぶひこ) 1962年宮城県気仙沼市生まれ。 1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。 『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。 WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。 ラグビーは1985年から、W杯は1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著者。
選手が自ら想いを綴るコンテンツ。現役選手の「日野剛志」の心の内を公開していきます。温かく見守っていただけますと幸いです。※不定期更新※
今之浦にあるオフィスに務める静岡ブルーレヴズ社員・スタッフの発信マガジンです。各担当がそれぞれの仕事に対する想いやコンセプトを紹介していきます!
代表取締役社長 山谷拓志のアカウントにて投稿している記事をまとめています!
静岡ブルーレヴズ選手リクルート事務局アカウントの記事をまとめています!
静岡ブルーレヴズにとって2024年は、ヤマハ発動機株式会社のラグビー部創部(1984年4月)から40周年となる一年でした。 まもなく41年目に突入するにあたり、日本ラグビー界を熟知するとともに、静岡ブルーレヴズオフィシャルライターでもある大友信彦さんに、このクラブの40年の歴史の一部をその貴重な取材ノートと共に紐解いてもらった40周年特別コラム。 最終話は、"ブライトンの奇跡"から今日まで。 深夜に訪れた衝撃ヤマハ発動機ジュビロ(以下、ヤマハ)が日本選手権初優勝を飾った
本年、静岡ブルーレヴズは、1984年4月のヤマハ発動機株式会社ラグビー部の創部から40周年を迎えました。 まもなく41年目に突入するにあたり、日本ラグビー界を熟知するとともに、静岡ブルーレヴズオフィシャルライターでもある大友信彦さんに、このクラブの40年の歴史の一部をその貴重な取材ノートと共に紐解いてもらった。 第3回は、トップリーグ時代の幕開けから、”あの日”までの物語。 夜明け2003年、日本ラグビーで初めての全国リーグ「トップリーグ」が誕生した。 この年、僕は著
本年、静岡ブルーレヴズは、1984年4月のヤマハ発動機株式会社ラグビー部の創部から数え、クラブとして40周年を迎えました。 まもなく41年目に突入するにあたり、日本ラグビー界を熟知するとともに、静岡ブルーレヴズオフィシャルライターでもある大友信彦さんに、このクラブの40年の歴史の一部をその貴重な取材ノートと共に紐解いてもらった。 第2回目の舞台は、2000年代初頭。 「ヤマハとやりたかったなぁ」2002年の正月6日、全国社会人大会の準決勝だった。 2月に開幕するソルトレ
今年は夏の暑さが長く続いたせいであっという間に秋が過ぎ去り、朝晩が冷え込みだして長袖のトレーニングシャツを着るようになったと思ったら、開幕がすぐそこに近づいてきました。 そしてnoteにも帰ってきました。 「選手が綴る〜日野剛志がみるブルーレヴズ〜」 どうも、日野剛志です。 過去2シーズンに渡って、日野剛志が見て感じたブルーレヴズを発信してきました。ありがたいことに今シーズンも継続してもらえることになりました。これは皆さんが押してくれる♡のおかげです。感謝。 今シー
創部40周年にあたり本年、静岡ブルーレヴズは、1984年4月のヤマハ発動機株式会社ラグビー部の創部から数え、クラブとして40周年を迎えました。 これまでヤマハ発動機株式会社ラグビー部、ヤマハ発動機ジュビロ、静岡ブルーレヴズと共に歩み支えていただいた皆様に心より感謝申し上げます。 2024年3月2日には「YAMAHA RUGBY FOOTBALL CLUB 創立40周年記念マッチ supported by 株式会社ミクニ」を開催。埼玉パナソニックワイルドナイツOBとの豪華な