クセは『本能』。本能に磨きをかけるジョーンズリチャード剛。【インタビュー】
Text by 大友信彦(静岡ブルーレヴズオフィシャルライター)
Photo by 静岡ブルーレヴズ /谷本 結利(静岡ブルーレヴズ オフィシャルフォトグラファー)
黙々と身体を張る。痛いプレーを厭わない。ハードタックルを決めても吠えるでもなく、誇るでもなく、次の標的を求めてすぐに立ち上がりタックルに走る。トライのみならずジャッカルごと、スクラムごとに雄叫びをあげ、全員で喜びあう風潮が定着している現在のラグビーシーンでは、そのプレースタイルはどこかノスタルジーさえ感じさせる。
ジョーンズリチャード剛
静岡ブルーレヴズの背番号7に定着している寡黙なタックラー。SO家村健太やWTB槇瑛人というアーリーエントリー勢の活躍でつい忘れそうだが、ジョーンズもまた、昨年4月に静岡ブルーレヴズに加入した「ルーキー」なのだ。
今季の自分のパフォーマンスについての感想を、と問うと「自分の武器が通じる自信がついてきたのと、その分、課題も多く見えているのが現状だと思っています」という答えが返ってきた。言葉の端々に、謙虚な人柄がにじみ出る。
東海大から加入した昨季は、アーリーエントリー制度がなく、出場資格を得たのは4月から。デビュー戦は4月17日の東京サンゴリアス戦。フランカー7番で先発し、71分にマルジーン・イラウアと交替するまでひたすらタックルに身体を張り続けた。同期入団のルーキー6人の中では唯一の「4月デビュー」だったが、そのジョーンズも出場したのは1試合のみ。だがそれは、自分の目指すべき方向を改めて気付かせてもらえる時間だった。
その試合のあと、会見の席に呼ばれたジョーンズは、デビュー戦の感想をこう語った。
「今日の試合は、自分の身体で、このレベルでやっていけると感じました。大学の試合と比べるとフィジカルの部分は違うなと思いました。実際に試合をしたのは今日が初めてですが、練習中から、試合をイメージして準備してきました」
それから1年。改めて、デビュー戦の収穫を尋ねる。
「自分のやるべきことがより明確になりました。そこを理解して、そこにフォーカスしてやってきたことが今の結果に繋がっていると思います」
――具体的にはどんなことですか?
「自分ができることは身体を張ることだけなので、あまり他のことには目を向けず、自分がしなければならない役割にのみコミットするということです。ヘッドコーチの堀川さんとの1on1のミーティングで『ディフェンスでは本能のまま行け』と言われました」
――そのアドバイスを聞いたときの感想は?嬉しい感じでしたか?
「嬉しいとかいうよりも、しっくりきた、という感じです。
中学校からラグビーを始めて、高校、大学とプレーを続けてきた経験、自分の身についたディフェンスのスタイル、クセは『本能』という言葉が一番合っていると思います」
ラグビーを始めたのは中学1年のとき。
「小学校ではサッカーをしていたのですが、中学では違うスポーツをしてみようと思っていたら、中学にたまたまラグビー部があったんです。お父さんもラグビーをしていたので、やってみようと思いました」
ジョーンズさんのプレースタイルを見ていると、コンタクトできないサッカーでは物足りない感じがあったのでは? そう問うと「ありました」と苦笑した。
「ちょうどその頃、家で、父がラグビーの試合をテレビで見ていて、一緒に見ていて、思い切りぶつかり合っている姿を『かっこいいなあ』と思ったんです。何の試合かは忘れましたが、外国のインターナショナルの試合でした」
ジョーンズは英国人の父と日本人の母のもと、京都で生まれた。父はラグビーではウェールズを応援していたが「自分はウェールズ人だ」というようなエスニシティを強調することはなかったという。
「自分のアイデンティティについて、どう考えろとかいうことを言われたことはありません。自分に任せてくれた。感謝しています」
――そのアイデンティティとは。
「自分には二つの国籍があって、両方の文化を経験することができたし、2つの言語をしゃべれる。(外見など)周りと違うところはあるかもしれないけれど、違うというよりも、これが自分の持っている個性、特別なものなんだと置き換えました。そうすることで、ハーフとして生まれた自分がこの国で生きることの意味を見つけることができた。両親に感謝しています」
ジョーンズ自身、身体が大きいわけでも抜群の球技センスを誇るわけでもない。
「身体はずっと小さい方でした。学校では真ん中くらいだったけど、ラグビー部では中高大とずっと小さい方。まわりの選手はみんな自分より大きかったです。そんな中で、自分の得意なプレーは身体をあてること。派手なプレーはできないけれど、ヘタクソでも地味なプレーはできる。『大きい相手を倒したい』ということはあまり考えなくて『自分にできることをやろう、それはタックルだ』というふうに考えていました」
高校へ進学する際は「ラグビーをやるなら強いところでやりたい」と考え、小中学校時代の友人が志望していたことや、「受験も、授業料も問題なかった」こともあり、伏見工業高校へ進学。1学年上にはブルーレヴズで今季から共同主将を務める奥村翔やサンゴリアスの尾崎泰雅がいた。
「伏見工での3年間は、ラグビーの技術的なレベルの高さをたくさん見せてもらえた時間でした。自分がその技術を習得できたかどうかは疑問だけど、いろいろなプレーを身近で見ることができたし、何よりもラグビーへの思いが強くなった。もっとやりたいと思いました」
大学進学にあたっては東海大を選んだ。
「まず強いチームに行きたいと思いました。大学でラグビーをやるのなら、中途半端な気持ちで行ったらもったいない。強いチームに行って、そこで何が起こるかは自分次第。4年間の時間に任せれば良いと思いました。
あと、伏見工からは、1コ上の赤木凜さんという親しかった先輩が東海大に行かはって(行かれていて)、誘われたことと。あと試合を見て、外国人留学生がたくさんいて、留学生の選手と日本人選手の仲の良さにも惹かれました」
大学時代は1年時の4年生に日本代表のNo8テビタ・タタフ(現東京サンゴリアス)、WTBアタアタ・モエアキオラ(現コベルコ神戸スティーラーズ)、3年生にCTB真野泰地(現ブレイブルーパス東京)、SH山菅一史(現横浜イーグルス)、2年に伏見工の先輩でもあるSH中村友哉らがいた。ジョーンズは1~2年時は主にリザーブだったが、3年からフランカーのレギュラーポジションを獲得。4年時は主将を務めた。関東大学リーグ戦グループでは4年間すべて優勝。大学選手権では8強、4強、8強、4強という成績だった。成績自体は満足できるものではなかったが、ジョーンズにとっては有意義な時間だった。
「大学では、人間的に成長できたのが一番大きいと思います。ちょっとオトナになれたと思う。寮生活、集団生活を経験して、そういう環境のもとで人間的に成長できたと思います」
(↑この時に注目プレーヤーにあげたのは、この1月からブルーレヴズに加入した1年後輩の伊藤峻祐だった!)
静岡ブルーレヴズへは、自らトライアウトを受けて入団を決めた。
「大学3年から4年になる時期に、1週間練習に参加させてもらって、その終わりに合格というお話をいただいて、すぐに決めました。大学4年のシーズンに引き延ばしてもストレスになるし、早く決めてしまいたいと思ったし、1週間、練習に参加してこのチームに魅力を感じていました」
――そのとき感じたブルーレヴズ(当時はヤマハ発動機ジュビロとして戦ったラストシーズンだったが)の魅力とは?
「スペシャルプレーヤーはいない。もちろんみんな強いけれど、ワイルドナイツやサンゴリアスにいるようなすごく有名なスタープレーヤーがいるわけではない。
だけど、そういうチームだからこその勝ち方もある。それはチームとして勝ちにいくということ。グラウンドに立っている15人が、最大級のパフォーマンスをして、ストラクチャーに則ったパフォーマンスを出し切って勝ちに行く姿に魅力を感じました。それは多くの選手も、ファンの方も感じている魅力だと思いますし、僕もそこに魅力を感じました」
かくして、2022年4月、静岡ブルーレヴズに、ヤマハ発動機の社員選手として入団。会社ではCX(カスタマーエクスペリエンス)事業部 サービス部 グローバル品質グループに配属され、英国人の父と日本人の母のもとで身につけたバイリンガルという特技を活かし、世界中に展開している自社製品ユーザーからのフィードバックを品質向上に活かす業務についている。
――そしてラグビー。実際に入ってみたブルーレヴズの印象はどうだったのか?
「とにかくみんな仲が良いな、というのが一番の印象でした。ここにおることで安心できる。自分は、人間関係に自分からガツガツ行ける方ではないので、先輩や同期から積極的に話しかけてくれたり、いじったり、巻き込んでくれるのがすごくありがたかったです」
――積極的に巻き込んできてくれた先輩とは特に誰だったのでしょう?
「エーシンさん(LO桑野詠真)さんですね。ロッカーに入ったときも、『今日は調子どう?』とか聞いてくれたり。小さいことですが、そういう雰囲気を作ってくれたことで助かりましたし、他の先輩方も助けてくれました。
ラグビーのプレー面では『自分の通用するのはここやな』というのは大学を通じて具体化されていたので、それをより研ぎ澄ましていった感じです。プレーヤーとして成長できる環境だなと確信を持てました。あとは意識の高さです。勉強になったのは身体のケアですね。大学時代はあまり考えていなかったので」
同じポジション、バックローには南アフリカ代表のクワッガ・スミスという絶好な教材となる偉大な選手がいる。
「一緒のグラウンドに立つだけでも、彼のプレーを見るだけでも学べることが多いです。ブレイクダウン、ジャッカルの練習では、一瞬の動きから『こんなことを考えているのか』という学びがあるし、ラグビーに対する考え方、熱い気持ち、姿勢からも学ぶことが多いです。
具体的には、クワッガは常にラグビーのこと・チームのことを考えていて、練習中でも『こうした方がいい』『ここではこうしないとアカンやろ』というようなことを発言してくれるんです。チームが良くなることを常に考えていて、必要だと思ったことはしっかり発言する。本当に毎日、勉強になります」
リーグワンはBYEをはさんでいよいよラスト3節に入る。13節を終えてブルーレヴズは勝点25の7位。プレーオフ進出の可能性は残念ながら消えたが、次は入替戦回避という目標が残っている。相手は5位のブレイブルーパス東京、1位の埼玉ワイルドナイツ、そして同じ東海地区のライバル、トヨタヴェルブリッツと続く。当然ながら、息の抜けない相手ばかりだ。
「まず勝ちに行くのが大前提で、その上で、自分のパフォーマンス面では成長を止めないため、1試合1試合、自分が出る試合では100%の力を出し切るつもりです。シーズンを通じて、クワッガや他の先輩も言っていたことですが、自分の役割を果たしきることが勝つためには必要。自分がコントロールできることだけに目を向けて、役割を100%やりきることで勝利に貢献したい。グラウンドに立つ選手全員がやるべきことを100%遂行できれば勝利も見えてくると思います」
――最後に、レヴニスタのみなさんへのメッセージをお願いします。
「いつもサポートしてくれるレヴニスタの皆さんの応援は本当に力になっています。残り3試合は厳しい試合が続きますが、変わらぬ応援をお願いします」
ラスト3節。厳しい試合になるのは間違いない。それでも1試合1試合、戦い抜く姿を見てもらい、応援に来てくれるファンと喜びを共有することが、ブルーレヴズの使命だ。順位は大切だが、今は順位よりも大切なものを追わなければならない。
そのために、ラスト3節は先頭に立ってハードタックルを浴びせる背番号7に~つい忘れそうだが、まだ加入1年の新人の背番号7に~注目したい。
<了>
大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。