クワッガ・スミスは、自分を信じてそのバトルに突き進んでいく。【インタビュー】
Text by 大友 信彦(静岡ブルーレヴズ オフィシャルライター)
Photograph by 静岡ブルーレヴズ、谷本結利
インタビュー:2022年12月20日
12月17日、2年目のリーグワンが開幕した。
静岡ブルーレヴズは愛知県の豊田スタジアムで、トヨタヴェルブリッツと対戦。残念ながら26-31で敗れたが、ラスト10分に2トライをあげて追い上げ、勝ち点1をあげた。その最後のトライを決めたのが、今季共同主将を務めるNo8クワッガ・スミスだった。昨季、チーム最多の9トライをあげた頼れるバックローは、今季も開幕戦から攻守にフル回転して見せた。
開幕戦を戦い終えた闘将に、シーズンへの思いを聞いた。(取材日:2022年12月20日)
――いよいよシーズンが開幕しました。ヴェルブリッツとの初戦は残念な結果でした。振り返っていただけますか。
「良い学びになった試合でした。試合の中で、やりたいプレーができないこと、自分たちに足りないところがありましたが、この学びを次に繋げて、毎週、向上させていくことが大切です」
――南アフリカ代表での活動からチームに合流して、チームと一緒に過ごす期間も短い中で迎えた試合でした。難しい部分があったのでは。
「インターナショナルのシーズンが終わってからチームに合流して、時間がない状況はいつものことです。合流する前から自分の持てる時間を有効に使って、準備をしていました。ブルーレヴズではもう何年もプレーしているので、難しいことではありません。チームの状況は把握して、今シーズンやろうとしていることについての知識を得ていたので、合流してから短い時間でフィットできました。今季はリーグワンの開幕が去年よりも早まった分、時間が短くなったけれど、限られた時間を有効に使えたので問題なかった」
――具体的にはどのように準備したのですか。
「それも毎年のことです。ホリさん(堀川HC)とオンラインでミーティングをしたり、チームのトレーニングの様子やプレシーズンマッチの映像を見たりして、チームの状況を把握する。南アフリカ代表のテストマッチが続く中ですが、時間を確保して、いつもチームについて最新の情報を知るように、フィールドにいなくてもできる仕事を最大限していました」
――クワッガさんは今季からブルーレヴズの共同キャプテンに就任しました。これもチームを離れている時期の就任でしたね。
「はい。南アフリカ代表でザ・ラグビーチャンピオンシップ(南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、アルゼンチンによる南半球4カ国対抗戦)を戦っている頃に、オンラインのミーティングでホリさんからお話をいただきました。自分自身、これまで5シーズン、チームのリーダーシップグループ『ファイブハーツ』のメンバーだったので、スタッフとコミュニケーションを取る機会も多かったのですが、キャプテンに選んでもらえるのはとても光栄でした」
――今回は奥村選手との共同主将という形ですが、それは最初から?
「はい。ホリさんから主将就任のお話をいただいたときから、共同主将という形で行きたいと説明されましたし、理解できました。自分もインターナショナルでそういうシステムを経験しているし、良い考えだと思いました。カケル(奥村)はとても若くポテンシャルのある選手だし、彼のチャレンジ、成長するためのいい機会になります」
――クワッガさんのこれまでのラグビーキャリアでキャプテン経験はどのくらいあるのですか?
「これはカウントして良いかどうかわからないけど、小学生や高校生のチームでもキャプテンをやりましたよ(笑)。スーパーラグビーのライオンズでも最後のシーズンはキャプテンをしましたし、セブンズの南アフリカ代表でも何大会かでキャプテンを務めました。インターナショナルの南アフリカ代表でも、リーダーシップグループでキャプテンシーを学んできました」
――クワッガさんがキャプテンを務めるとき、心がけていることを教えて下さい。
「意識しているのは、キャプテンを務めるからといって、自分個人のパフォーマンスを落とさないこと、チームのベストプレーヤーで居続けることです。チーム全体のことを考えると、自分のパフォーマンスが後回しになってしまうこともありそうだけど、自分は常にベストでいられるよう向上して、成長していたいし、すべての選手に同じ絵を見てもらえるよう務めています」
――クワッガさんの目指すキャプテン像に影響を与えた選手はどなたかいらっしゃいますか。
「これまでたくさんの素晴らしいキャプテンと一緒にプレーしてきたけれど、ひとりあげるならライオンズで3年間、スーパーラグビーの決勝に進んだときのキャプテン、ウォーレン・ホワイトリーです。彼は常に冷静沈着にチームを引っ張っていた。多くの言葉を費やすのではなく、まず自分が行動することで模範を示す。試合に勝っているときも負けているときも、自分のプレーでチームを引っ張っていく。素晴らしいキャプテンでした」
――まさにクワッガさんのプレーに僕らが感じていることですね。
「ありがとうございます。彼は選手としてもキャプテンとしても徹底的にプロフェッショナルだったし、自分もそうありたいと思っています」
――南アフリカのFWには身長2m超の選手がズラリと並びますが、クワッガさんは180cm、南アフリカのFWとしては小柄な身体で、チームのベストプレーヤーであり続ける秘訣は何でしょう。
「確かにラグビーでは身体の大きい、背の高い選手が多いけれど、それだけではない、身体が小さくても足が速かったり、足が遅くても力が強かったり、いろいろな特性を持った選手が自分のできることをやる、集中することでチームに貢献できる。私自身、プロのラグビー選手になって10年間、常にその意識でやってきました。大切なのは、
自分の役割に集中すること。多くのことを抱えすぎないこと。それを毎週やり続けること
です」
――クワッガさんのプレーや、そういうマインドセットは日本の多くの小柄な選手に励ましのメッセージになると思います。
「私も子どもの頃から常に小さい選手だったけれど、常に100%の力を出し続けるということを心で決めていました。今回のサッカーのワールドカップを見ていても、日本の選手は身体が小さくても常に強い気持ちでプレーしていることがうかがえました。私も、小さい頃から自分を信じて、チームを信じて、努力し続ければ夢は叶うと信じてここまでやってきました。日本の若いみなさんにもそれを伝えたいです」
――今季、横浜キヤノンイーグルスに加入した南アフリカ代表仲間のファフ・デクラークさんは先日のインタビューで「子どもの頃から『そんな小さな身体でラグビーなんて無理だろ』と言われ続けて、それを見返してやろうという思いがモチベーションになった」と話していました。
「私もまったく同じです(笑)。子どもの頃、ハイスクールのときもそうだった。子どもの中でも大きな子がFWに集まる。私はルースFW(FW第3列)では常に一番小さくて『その小さな身体では無理だ』と言われたけれど、その言葉が間違いだと証明してやろうという思いでラグビーに取り組んできました。今、ラグビーをしている体格に恵まれない選手にも、不可能はない、頑張ればできるよ、と伝えたいです」
――体格の小さな選手たちに、マインドセット以外のテクニカルなアドバイスを何かいただけますか?
「うーん……やっぱり、テクニカルなことよりもメンタル面だと思う。タックルに行くのでも、ブレイクダウンに入るときでも、ボールキャリーをするときでも、すべてバトル。
迷いを持たず、疑いを持たず、自分を信じてそのバトルに突き進んでいく。
これに尽きると思います」
――力強いメッセージをありがとうございます。クワッガさんは2016年のリオ五輪にセブンズの南アフリカ代表で出場して銅メダルを獲得して、2018年にヤマハ発動機ジュビロに入団しましたが、その間、2017年には日本代表(Japan XV)と対戦する世界選抜のメンバーとして来日しましたね。
「はい。福岡のレベルファイブスタジアム(現ベスト電器スタジアム)で日本代表と対戦しました。それ以外にもスーパーラグビーでサンウルブズと何度か対戦しました。どの試合もとても速いラグビーで、対戦しながらとてもワクワクしたことを覚えています。そのときのポジティブな印象があって、日本でプレーしたいなという思いがわいて、2018年にヤマハと契約することになりました」
――日本のラグビーのどの部分にポジティブな要素を感じましたか。
「やはり速いプレーです。私自身、速さを武器にしているプレイヤーだったので、より速いラグビーをしている日本のラグビーに興味を持ちました。スピードの面で強度の高いゲームをしている。その要素は変わらないまま、リーグワンになってそれまで以上にワールドクラスの選手がやってくるようになって、ゲームのレベルも向上した。私自身、そこに身を置くことで成長できたと思います。セブンズから15人制に移ったときも環境の変化で成長の機会を得たと感じましたが、私にとってはそのときと同じような変化でした」
――セブンズと15人制はどのくらいの比率でプレーしていたのですか?
「当時は本当に50:50でした。12月から5月まではセブンズワールドシリーズで世界を回って、6月からは15人制の国内シーズンへシフトするというカレンダーを6年間続けました。2つの役割をこなすことはタフだったけれど、その分成長できたと思います」
――日本でもセブンズの代表になって、15人制との両立に苦労している選手がいます。クワッガさんにとっては大変ではありませんでしたか?
「簡単なことではなかったですね。求められる要素には違いもある。実際、南アフリカでも難しく感じている選手はいます。でも私はなるべくシンプルに考えて、自分にできることをやり続ける、求められるプレーをやり続けることでベストの自分になっていくことを考えました。その意味ではセブンズも15人制も変わりはありません。どちらのルールでも、
限られた時間で最大限の成果をあげるため、必要なことをやるだけ
です。
私も年齢を重ねてきたこともあり、リオ五輪を最後に15人制にシフトしました。でも、セブンズはラグビーのキャリアはもちろん、若い選手が世界を経験して見聞を広める意味でも非常に素晴らしい機会だと思います」
――先ほど「日本でプレーすることで成長できた」とおっしゃいました。具体的にはどういうことでしょう。
「一番は、日本のラグビーの速さです。クイックネスがあり、スピードがある。速さの要素はインターナショナルラグビーの分野で、年々比重を増している部分です。テストマッチレベルの試合はこの10年でものすごく高速化している。そういうラグビーが変化している時代にあって、日本で速いラグビーを経験したこと、そこに適応できたことは、私のアドバンテージになりました。これはいつも感じていることです」
――クワッガ選手の成長に寄与できたことは日本ラグビー界としてもうれしいことです。ではチームとしてのヤマハ発動機ジュビロそして静岡ブルーレヴズは、この5シーズンにどんな成長をしたと感じていますか。
「ブルーレヴズでいつも感じることは、若い選手がいい練習を積んで、着実に成長しているなということです。本当に試合ごとに成長する。学ぶ能力が高いチームだと思う。昨シーズンはコロナの関係でなかなか試合ができなかったり、練習に制約のある期間が長かったけれど、今シーズンはフルに練習できているし、昨シーズン以上に成長できると思います」
――一緒に練習していて、特に楽しみな選手、熱心にアドバイスを求めてくる選手は誰かいますか。
「誰と絞るのは難しいくらい、みんな練習熱心だし、僕も分け隔てなく誰にでもアドバイスをするようにしています。機会があれば、全体練習のあと、エキストラメニューで若い選手をサポートしたり、私の経験を伝えるようにしています。
その上で、あえて名前を挙げるならまずカケル(奥村翔主将)ですね。ブルーレヴズに来てこの2シーズン、本当に成長し続けている。あとミノル(SH田上稔)も、素晴らしい才能があって、真摯に努力して成長し続けている」
――バックローでは?
「リチャード(FLジョーンズリチャード剛)は自分を高めていこうという姿勢が素晴らしい。練習中でもオフザピッチの時間でも、特にブレイクダウンについていろいろな質問をしてくる。彼自身、すでにブレイクダウン回りで素晴らしいプレーをする選手だけど、間違いなくこれからもっともっといい選手になる。ブルーレヴズには他にも庄司(拓馬)などブレイクダウンの仕事に優れた選手が多いし、みんなで互いにアドバイスし合って成長しています」
――日本の選手にとってもそうですが、クワッガ選手にとっては、来年はワールドカップという目標もあると思います。リーグワンを戦うことと並行して、ワールドカップに向けた自分の準備はどのように考えていますか。
「まず、リーグワンで良いプレーをすること。100%の力でチームにコミットして、役目を遂行していくことです。リーグワンには南アフリカ代表の選手がたくさんいて、南アフリカ代表のコーチングスタッフもテレビを通じて向こうでチェックして、選手のパフォーマンスをチェックしています。これはワールドカップに向けたセレクションにも関わってくる。リーグワンはスプリングボクス(南アフリカ代表)のセレクションの場でもあるのです。リーグワンで良いプレーをする。チームの勝利に貢献することが、南アフリカ代表としてのワールドカップへの準備にも繋がると考えています」
――前回のワールドカップでは日本と南アが準々決勝で対戦しました。来年の大会では、組み合わせ上、互いが準決勝以上に行かないと対戦は実現できませんが…ちょっと先走った質問ですが、ワールドカップへの抱負を聞かせて下さい。
「南アフリカにとっては2連覇がかかる大会になるけれど、そのためには準々決勝でニュージーランドかフランスに勝たなければならない。そして、その前にまず、プールマッチでアイルランド、スコットランドとの戦いを勝ち抜いて、まずトップ8に入ることが第一歩です。先を見すぎず、ひとつひとつ勝っていって、次のタイトルにチャレンジしたいと思っています」
――ありがとうございました。ワールドカップの前に、まずはリーグワンでの勝利ですね。どの質問にも丁寧にお答え戴きありがとうございました。これからもクワッガ選手の活躍を楽しみにしております!
大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。