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日本代表・桑野詠真~自分が成長することにフォーカス~【PLAY BACK Interview⑦】

Text by 大友信彦(静岡ブルーレヴズオフィシャルライター)
Photo by 静岡ブルーレヴズ /谷本 結利(静岡ブルーレヴズ オフィシャルフォトグラファー)

7月21日、札幌ドームで行われたリポビタンDチャレンジカップ2024のイタリア代表戦で、静岡ブルーレヴズのLO 桑野詠真 は背番号4の桜のジャージーを着てピッチに飛び出した。
旧ヤマハ発動機ジュビロに入団して8年目。5月の日本代表トレーニングスコッド菅平合宿に招集され、連日朝6時からの4部練習でハードなトレーニングを積み重ね、6月からの日本代表宮崎合宿にもバックアップメンバーから追加招集。7月6日の豊田スタジアムではジャパンXVのLOとしてマオリ・オールブラックス戦にフル出場して勝利に貢献し、このイタリア戦で、ついに日本代表テストマッチに初先発。29歳で日本代表初キャップを掴んだ桑野は、前半40分でピッチから退くまでタックルにラインアウトに奮闘。試合には敗れたが、初めて経験するインターナショナルの舞台で身体を張り続けた。
 
「結果を出せなかったことは残念だし、悔しい。でもこの1週間、テストマッチに向けて良い準備はできた。ハードだったし、自分たちで突き詰めることができた。ただそれをスコアに反映させることはできなかった。相手もこだわりを持っていて、ブレイクダウンでもプレッシャーをかけてきた。こちらの何が悪かったというよりも相手が上でした」

そして、初めて経験した日本代表としての時間。

「菅平合宿から始まった2ヵ月は早かったけど、人生で一番濃密な時間でした。何度も倒れそうになったところから、なんとかしがみついて、ここまで来ることができました」
 
桑野をイタリア戦で起用したエディー・ジョーンズHCは「桑野はハードワーカーで、ラインアウトリーダーでもあり、コーラーのワーナー・ディアンズへのプレッシャーを軽減することができる」と説明した。それに先立ち、マオリ・オールブラックス戦で先発に抜擢した際は、ペアで先発させた小瀧尚弘(コベルコ神戸スティーラーズ)とともに「サイズは大きくないが、トレーニングを重ねて成長している。日本人のLOとしては今のところベストの人材。育成していきたい」と期待を寄せた。

桜のエンブレムをつけた桑野詠真がリフトで上がる瞬間、胸に熱い想いがこみ上げた

静岡から世界へ――
ブルーレヴズが掲げるミッションのひとつを遂行した桑野の足取りは、2023-2024シーズンのハードワークから始まっていた。シーズン終了直後、菅平でのトレーニングスコッド合宿へ向かう直前に行ったシーズンエンドインタビューをお届けする。


2023-24シーズン、ブルーレヴズでブレイクしたひとりが桑野詠真だ。
先発した試合数こそ前年度の14から12に減ったが、80分フル出場した試合は前年度の2から10へと激増。シーズン合計のプレー時間は2022年の452分から2022-23年が861分に、そして2023-24年は1,068分まで増えた。これは山口楓斗の1,251分、マロ・ツイタマの1,200分、大戸裕矢の1,184分、チャールズ・ピウタウの1,077分に次ぐ数字だ。
頑健なロックとして密集戦にタックルに身体を張り、スクラムを押し、ラインアウトを跳んでボールを獲得し続けた29歳のリアルロックに、シーズンを振り返っていただいた。

一瞬一瞬を思い出しながらインタビューに答えてくれた

――シーズンを戦った感想をお願いします。
「トップ4を狙うという目標をシーズン前から掲げていたので、8位という成績に終わってすごく悔しい気持ちです。昨シーズンは、手が届かなかったいうより、手が掛かっていたのに逃してしまったという感触でした。特に中盤戦で、勝てる試合に勝てなかったのですから。ラグビーの能力に差があったというより、ディテールの部分、こまやかさが足りなくて、ミスで接戦を落としてしまったり。そういう積み重ねで4強を掴み損ねてしまったなという印象です。
力はついたと思うんです。その前のシーズンまでは相手のミスに助けられて得点が入ったりすることも多かったけど、先シーズンは自分たちで仕掛けてチャレンジして得点を取ったうえでの勝ちが多かった」

 
――その変化は藤井監督が来られた影響でしょうか。
「藤井さんが来られたから、という部分もありますが、アタックコーチの有賀剛さん(2023-24シーズンをもって退団)がチームのアタック全体をオーガナイズして、個人個人のスキルを高めてくれたのが大きかったと思います。藤井さんの影響はラグビーの細かい部分よりもマインドセットの部分が変わったところだと思いますね」
 
――桑野さん自身のプレーはどう評価していますか。
「アタックに関しては『攻めたらトライを取れる』という手応えを感じてシーズンを送った感触があります。個人的にはもう少しゲイン率を上げたかったなと思います。ボールキャリーに関してはNO8のジーン(マルジーン・イラウア)やLOのマザー(マリー・ダグラス)がキャリアーになることが多かったので、自分は早めにコミュニケーションを取ってパスで彼らを活かすような形が多かったのですが、僕自身のキャリーも課題というか、マザーのようにキャリーしてブレイクしてフォローもして……とワークレートを上げていきたいと思っています」

桑野のキャリーシーンもたくさん見たと思うが、それよりも目指すべき上がいると言う

――自身が成長した部分は?
「今までも自分の強みだと思っていたフィジカルの部分では、これまで以上にディフェンスでドミネート(支配することが)できたと思いますね。前のオフシーズンからフィジカルの強化に取り組んできて、そこを発揮できたと思います」
 
――フィジカルの強化とはどういう部分をどのように取り組んだのでしょうか?
「単純な筋力強化ももちろんですが、並行して身体の使い方を変えるトレーニングに、より注力しました。簡単に言うと、『速く強く動く』ということ。強いポジションを作って速く動く、そのために、自分の身体を強いポジションに速く持って行く。オフシーズンはそこに重点的に取り組みました。シーズンに入るとウエートトレーニングには時間をかけられなくなってしまうので、オフの間にじっくりと」
 
――ブルーレヴズが武器としてきたひとつ、ラインアウトについて。大戸裕矢選手に以前伺った際『ラインアウトは桑野とマザーが考えてくれて、自分は跳んで捕っているだけなんです』と頭を掻いていました。秘訣を教えていただけますか?
「昨シーズンはラインアウトの獲得率はあまりよくなかったんですよね。序盤は割とうまくいっていたのですが、2月のブレイク期間中に分析されてしまったようで、3月のワイルドナイツ戦ではかなりやられてしまいました。そこから修正して終盤は立て直せたと思いますが、上背、特にリフターや第3ジャンパーになるバックロー陣は他チームの方が大きいですからね、簡単じゃありません」
 
「今年のラインアウトで良かった部分は、マザー(マリー・ダグラス)がシーズンを通じていいパフォーマンスをみせてくれたことだと思います。僕も『今年は何を変えたの?』と聞いてみたのですが、マザーが言うには『マインドセットが今年は違う』と。マザーは34歳で、過去2シーズンはケガが多くてあまり活躍できなかった。このシーズンは『もしかしたら最後になるかもしれない、毎週、毎日、これが最後になってもいいように出し切ろうと思ってプレーしているんだ』と言っていました。確かに、一緒にプレーしていて鬼気迫るものがあった。そのメンタルのチカラに学ばせてもらいましたね」

34歳の大ベテランが日々全力を出し尽くしている姿を近くで見てきた

――第6節の花園ライナーズ戦でジュビロ~ブルーレヴズを通じての50キャップを達成。ヤマハスタジアムで、先頭で入場されましたね。
「はい。でも数字はあまり意識していませんでした。それよりも、自分が出た試合にどれだけ勝てるか。自分がヤマハに入った頃はトップ4に入っていたのに、だんだん順位が落ちて、プレーオフにも行けていない。3年前には左膝の前十字靱帯を断裂する大ケガもあって1年間ラグビーができなかった……そういう歯がゆさがあります。
ケガをする前のシーズンは調子が良かったんです。NZへ行かせてもらって、10何試合をして、感覚的にもイケイケで、怖いもの知らず、自信を持ってラグビーしていたのですが、そこでケガをしてしまった。ただ、ケガをしたことでむしろ、精神的に成長できたと思います。エグゼクティブコーチの倉重さんとミーティングをして、自分のビジョン、どんな存在で、どんな人間であるべきか、これからの自分は何を目指すのか、1年後の目標、3年後の目標を整理して、そのために毎日何をやるべきかを、具体的なテーマを書きだして設定できた。それまで「とにかく一生懸命頑張ろう」と思っていたけどどの方向に進めば良いかが分かっていなかったところから、進むべき道が、この光が出ている方へ進めば良いという道が見えた。ラグビー的には、それまでぼんやりと「日本代表になりたいな……」と思っていたところから、どうやったら日本代表に近づけるのかを整理して考えられるようになりました」

――具体的にはどのような目標設定を?
「まず、日本代表になるにはチームが強くないといけないし、そのチームで自分が良いプレーをすることが必要。そのために、毎日の練習、身体のケア、ミーティングをしっかりと積み重ねていく。それを毎日、毎週、毎月……と積み重ねて、その都度『どれだけできたか、ここから何をすべきか』をレビューしていく。それ以前は、他人からの評価を気にしていたけれど、そこを気にするよりも自分で自分を評価するように変えた。そこから、自分で成長の実感を得られて、モチベーションが上がるようになった。良い意味で、コーチからの言葉に反応しすぎてブレたりしなくなりました(笑)。
 あと、ラグビーノートを毎日書くようになりました。その内容も、前はスキル面にフォーカスしていたのをマインド面中心に、結果よりも準備についてを重点的に書くようになりました」

 
――ノートは何冊くらいたまりましたか?
「いや、ipadで書いているので、目に見える冊数はないです(笑)。でも2021年くらいからずっと書き続けているので、結構な量になっていると思います」

 ――最後に、来季へ向けての思いを聞かせて下さい。
「やはり結果ですよね。勝たなければいけない。TOP4に入らなければならない。納会で、家村健太山口楓斗の若手も『ホントに勝ちたい』と言っていたのですが、勝つために必要なのはディテール、細やかさの部分だと思うんです。その意味で、ジャパンの合宿で学べることはたくさんあると思う」
 
――目指すロック像、選手像があれば聞かせて下さい。
「ハードワークですね。日本代表で追えば大野均さん(元東芝ブレイブルーパス、日本代表キャップ歴代最多98の記録保持者)のようなイメージです。日本代表に選ばれるかどうかは自分ではコントロールできない部分もあるし、それよりも自分が成長することにフォーカスしたい。成長して帰ってきて、それをチームに還元したいと思っています」
 
日本代表に選ばれるというひとつの夢はかなった。だが桑野自身が言っていたように、大切なのは成長し続けることであり、それを結果に結びつけること。昨シーズンを通じて成長し、日本代表の合宿やテストマッチで成長した成果を、次はブルーレヴズの試合で見せて欲しい(その前には日本代表での秋の試合がある…!)
成長を求め続ける29歳のパフォーマンスに、これからも期待しよう!


大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。