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青旬の轍 | 山下 憲太 編


リーグワン2024-2025。開幕から好調な戦いを続ける静岡ブルーレヴズ(以下、レヴズ)で、第7節まで全試合に先発出場し続けている選手は5人。トライ王のWTBマロ・ツイタマ、CTBヴィリアミ・タヒトゥア、LOマリー・ダグラ
ス、HO日野剛志、そしてもう一人がPR山下憲太だ。

2024-25シーズンの開幕戦

他の4人は昨季以前からの中心選手だが、山下は入団4年目。昨季までの公式戦出場は3シーズンで先発3、リザーブ6。日本代表で6キャップを獲得した茂原隆由、2022年に日本代表練習生を経験した河田和大が控える激戦区の左PRだが、山下は背番号1を手放さず、BR東京戦では自陣からロングアタックでWTBツイタマが決めたスリリングなトライにも果敢なサポートランで参加。

スクラムを押し、BKをもサポートして躍動を続けるレヴズ注目の成長株に、クラブオフィシャルライターの大友信彦が迫る、「青旬の轍(せいしゅんのわだち)」第2弾。


――絶好調の山下選手、まずは今季の好調の理由について聞かせて下さい。

「昨季の途中から河田さんのケガもあって、シーズン後半から試合に出してもらえるようになり、最終戦でも先発することができて自分の意識が変わりました。

そのタイミングで茂原が日本代表に呼ばれたし、河田さんもケガから戻ってくる。去年以上の激戦区になることは分かっていたので、試合に出るためにはスクラムをもっともっと頑張らないといけない、必要とされる存在にならないといけない……自分で言うのもなんですけど、今季のプレシーズンは頑張った実感があります。それが開幕から出してもらえていることに繋がっているんだと思います」

 
――オフシーズンに特に重点的に取り組んだ部分を教えて下さい。

「僕は大学までFLで、レヴズに入って最初の2年間はHOで、PRになったのは昨季からでまだ2年目。スクラムではまだパワー不足でした。長谷川慎さんにも『体重を増やせ』と言われていたし、昨季は105kgくらいだったのをプレシーズンで114kgくらいまで増やしました。ただ、その体重でプレシーズンマッチに出たところ、走れなさすぎたのでそこから少し絞って、今は110kgで落ち着いてます」
 
――体重以外で、今季の充実に繋がっているきっかけは何かありましたか。

「僕にとって一番の転機になったのは昨年8月、お盆明けのFW合宿です。FWだけで2泊3日、三重(ヒート)、(シャトルズ)愛知、日野(レッドドルフィンズ)を連日訪ねて、スクラムだけ組ませてもらったんです。本当にスクラムだけ。
練習後も自分たちで『どこが良かったか悪かったか』『次はどうする』と話し合うだけで相手の選手と交流するわけでもない、武者修行というか道場破りみたいな。あの3日間は本当にたぎっていたというか、真夏の灼熱の中でものすごく濃い時間でした。FW同士の絆も深まったし、今もそのときの映像を見て『絶対に押すんだ』と初心に帰るようにしています」

――PRに転向した経緯を聞かせて下さい。

「大学まではFLだったのですが、トライアウトに来たときに、『HOをやってもらうかもしれないけどいい?』と聞かれて、HOとして入団しました。でも最初の2シーズンは自分のケガもあったし、HOとしての実力が足りなくて、ほとんど試合に出ることができなかった。

そのタイミングで、2年目の最後にあったヴェルブリッツとのミライマッチ(リザーブマッチ)で、メンバーが足りなくて僕は左PRで出たんです。先輩HOの江口晃平さんの引退試合だったのでHOはやはり先輩に任せて、急造PRながら出た試合がすごく楽しかったんです。

2023年4月のトヨタとの試合

PRの準備は1週間しかできなくて、8対8のスクラムも1、2回しか組めずに本番を迎えたんですが、HOのときは周りをうまくリードできず『迷惑かけているなあ…』と気持ちが落ちやすかったけど、1番では自分を出すことに集中できて楽しくて。シーズン後のHCとのミーティングで『1番をやりたいです』と自分から希望しました」
 
――専門職の難しさはHOと変わらないかそれ以上だったのでは。

「やはりレヴズはスクラム、ラインアウトのセットプレーを大事にするチームカルチャーなので、まずスクラムが強くならないと試合には出してもらえないです。
ただ、昨季から河田さんがケガで、茂原がジャパンで、二人ともチームを離れていたので、プレシーズンの間は僕がずっと日野さん、(伊藤)平一郎さんと3人でフロントローを組ませてもらえたのが、僕にとっては良かったんだと思う。
スクラムに関しては河田さんも茂原も強いし、誰が勝っているということはなくて、僕はプレシーズンから出ていたことで開幕戦から出してもらってるんだと思っています」

プレシーズンに続き、開幕節でも伊藤・日野とフロントローを組んだ

――開幕から7節まで全試合に先発しているのは山下選手を含めチームで5人。あとの4人はみな、昨季以前からずっと大黒柱だった中心選手です。

「出場ゼロだった2年前からはまったく考えられないですよね。1、2年目は、試合に出られない悔しさをシーズン中ずっと抱え続けて、フラストレーションをため続けていました。試合に出られるイメージも湧かなかった。でも、あのときのことを考えると、もっと頑張れる。あんなところへ戻らないためだったら死ぬ気で頑張れます。

あとは同期の存在ですね。タクマ(庄司 拓馬)とカケル(奥村 翔)と郭(郭 玟慶)は1年目から試合に出て、僕とコーダイ(岡﨑 航大)は試合に出られなくて、二人で励まし合っていたし、タクマとカケルも『同期で一緒に試合に出ようぜ』と励ましてくれた。そのコーダイも昨季の頭からSHで試合に出るようになって、自分の中で火がつきました。このままくすぶっていたら同期に恥ずかしいし、このチームにいられなくなってしまうことも頭を過ぎりました」

 
――その同期5人が、8日のブラックラムズ戦では揃ってメンバー入りしましたね。

「はい、初めてです!本当に嬉しかった。メンバー発表の時『もしかして、同期全員来たんちゃう?』と思って聞いていたら、他の4人も同じことを思ってた(笑)。試合に勝って、同期の5人そろって試合のジャージーで記念写真を撮れたのは本当に嬉しかったです」

2021年の大卒同期が全員揃ってメンバー入り

――山下選手の個人史も伺わせていただきます。ラグビーを始めたのは小学校4年のときですね。

「はい。幼稚園の頃からの幼なじみが「ばってんヤングラガーズ(YR)」という地元チームに入っていて、人数が少なくて誘ってくれたんです。僕はそれまでやっていた水泳をやめたタイミングだったし、じゃあやってみようかと。始めてみたらめちゃくちゃ自分に合っていた!始めてすぐに『ラグビー最高!』と叫んでいたのを覚えています(笑)」
 
――高校は長崎海星に進みますが、花園の全国大会には3年間届かなかったんですね。

「長崎の少年ラグビーは長崎ラグビースクール(RS)1強で、僕の代はコーダイが長崎RSのキャプテンで全国優勝していました。僕は中3のときに長崎県選抜に選ばれて、長崎南山からも声をかけていただいていたのですが、海星の前田監督から『ぜひ海星に来てくれ』と直々にアプローチを受けまして、こんなに自分のことを見てくれてるのなら、と海星に進学しました」
 
――前田監督は、元日本代表の前田土芽選手(筑波大―浦安-東葛―現・ルリーロ福岡)のお父さんですね。

「はい。土芽さんは僕の2つ上でした。高校時代は、3年間とも花園予選の準決勝で負けましたが、2年のときは南山に20-21の1点差。大泣きしたのを覚えています。花園予選は3年間準決勝止まりだったけど、3年の新人戦では十数年ぶりで北陽台に勝って九州大会に行きました。花園には行けなかったけど素晴らしい先輩たちにも出会えたし、海星に行ったことは100%良かったと思っています」

――高校時代のポジションはFLでした。

「はい。もう、FLは天職だと思っていました。タックルがすごい好きだったので、タックルしていれば褒められる、認められることが嬉しかった。もともとは中3のとき、長崎県選抜を決める最初の夏のセレクションに落ちたんです。それを悔しがっていたら、ばってんYRの監督から『お前はタックルで突き抜けろ』『ヘタやけんパスとか考えずにタックルだけやれ』と言われて、冬にもう一度あったセレクションでひたすらタックルだけやり続けたら、県選抜に選ばれた。周りは全国優勝した長崎RSのメンバーばかり、強者の集まりに一人だけ新参者が入ったんです(笑)。これが僕がタックル好きになった原点なんです」
 
――そして大学は、武者大輔さん(ブラックラムズ東京-現・釜石シーウェイブス)のような伝説のタックラーをたくさん輩出している法政大に進みます。

「武者さんは大学時代、何度か教えに来てくださいました。あとは同期のFLだった吉永純弥(現・安川電機)の存在が大きかったですね。吉永は東福岡の2年で高校ジャパンに選ばれたスーパータックラーで、4年間、左右のFLで試合に出してもらったし、練習でもずっとタックルをやりあってお互いを高め合うことができた。良いライバルでした」

――そして卒業後はレヴズに。先ほども伺いましたが、実質、HOでの採用だったのですね。

「トライアウトに来たときはFLとして練習に参加させてもらいましたが、合格と聞かされたときに『HOをやってもらうかもしれないよ』と言われました。僕としてはこのチームに入りたいという想いが強かったので、ポジションは言われたところをやるだけでした」

HOとして入団

――その後、3年目に志願して左PRに転向するわけですが、HOを経験したことがプラスになっている面はありますか?

「日野さんと一緒にHOを練習して、スクラムのこと、ラインアウトのことを理論的に理解できたことは大きいです。日野さんって言語化する能力がすごいんです。スクラムにしてもラインアウトにしても。僕は感覚的に『グッと組む』みたいな言い方をしてしまう方なんですが。

あと、HOの気持ちが分かるようになったのは今に生きていると思います。レヴズのスクラムはざっくり言うと1番と2番が一緒になって3番を前に出すスクラムなんですが、HOは1番にどう着いてほしいのか、どう力を出すと3番を前に出しやすいのかが理解できたのは大きい」

かつては同じポジションだが、今は並んでスクラムを組む日野 剛志

――スタッツを見るとタックルも多いですね。7節までで64回成功。レヴズのPRでは出場時間も長いこともあってダントツですが、リーグ全体の左PRでもスティーラーズの高尾選手(63回)、ヴェルブリッツの三浦選手(62回)を抑えてトップです(JスポーツHPより)。

「タックル数自体はダイナボアーズ戦、イーグルス戦とディフェンスする時間が長い試合が続いて、数字が跳ね上がったこともあると思います。フロントローでもHOの日野さんは僕よりも多いです。ただ、コーチからは『お前はFLみたいなPRというのが売りなんだ、PRになるな』と言われているし、たくさんタックルするのは自分のアドバンテージにしていかなきゃなと思っています」

――ディフェンスだけではなく、先日のブラックラムズ戦では自陣からのロングアタックに参加して、ロングサポートでダグラス選手にパス、ツイタマ選手のトライに絡みました。PRがあそこまで走って、なおかつ正確なパス。感動しました!

「あれはある程度決まっていた動きだったので反応しやすかったのですが、あそこまで展開についていってトライに関われたのはPRになって初めて。ちょっとFLの感覚が戻ったかな(笑)」

「FLみたいなPRというのが売り」

――しかし、日本代表の茂原選手を抑えて試合に出ているとなると、次は『山下選手の日本代表入りを期待したい』という声もファンからは聞かれます

「僕自身、今季の開幕前に立てた目標には『日本代表に入りたい』と掲げました。もちろん茂原からは刺激を受けていますし、意識しますが、レヴズで試合に出ることだけを目標にしていたらそれより高いレベルには行けないし、代表を目指すことによって、より向上心を持てると思いました。

ただ、今はレヴズの1番で試合に出続けることが一番の課題だし、そこに集中しなければと思っています。とはいっても、日本代表に選ばれるチャンスがあるとしたら今年だと思うし、しっかり試合に出続けて『1番は山下』と誰にも認めてもらえるような選手になりたい」


 
――最後に、レヴニスタのみなさんへのメッセージをお願いします。

「今季、開幕から3連勝などチームが好調で来ているのは何よりもレヴニスタの皆さんの声援のおかげです。みなさんの応援はいつも耳に入っていますし、試合中すごく力をいただいてます。これからも長いシーズンが続きますが、変わらず熱い声援をお願いします!」
 
――ありがとうございます。これからもスクラムでの活躍、そしてPRらしくないタックルやサポートのハードワークを楽しみに応援しています!


Text by 大友信彦(静岡ブルーレヴズ オフィシャルライター)
Photo by 静岡ブルーレヴズ/谷本 結利(静岡ブルーレヴズ オフィシャルフォトグラファー)


大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。