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静岡ブルーレヴズ 山谷拓志社長 2年目への抱負<前編>

Text by 大友 信彦(静岡ブルーレヴズ オフィシャルライター)
Photograph by 静岡ブルーレヴズ
インタビュー:2022年9月1日

――ブルーレヴズの山谷社長に1年目を振り返っていただこうと思います。まず経営の部分から。順調なスポンサー獲得が当初から話題になりました。

「私が社長としてここにきたのが2021年7月。事前の計画では、ヤマハ発動機以外からのスポンサーは『1.5億を獲得できれば』と目標を立てていたようなのですが、実際は半年足らずで3億円のスポンサーを獲得できました。
静岡県内の企業を回って感じたのは、①2019年ワールドカップの盛り上がり、②我々がチーム名からヤマハ発動機の企業名をなくしたこと、そして③静岡県全域のチームと位置づけたこと、この3点に魅力を感じてもらえたということです」

――「オール静岡」という理念が支持されたということですね。

「静岡県は東西に長くて、川を越えるたびに風土が変わると言われています。東部、中部、西部それぞれ独自性が強くて、横長に距離もあるので、地域間の交流も少ない。Jリーグのクラブも沼津、清水、藤枝、磐田と4つある。そういう土地柄ですから『オール静岡』という考え方が新鮮だったんでしょう。その理念に共感いただけたのだと思います」

2021年12月に浜松市、磐田市、袋井市、掛川市と、双方の資源を有効に活用した
協働による活動を推進し、市民の健康増進・地域の活性化などスポーツを活用したまちづくりの
推進を図ることを目的としたパートナー協定を締結しました。

――改めて、企業名を外して、オール静岡を謳ったことは英断だったと感じます。

「これは、私が社長として着任する前に、ヤマハ発動機ジュビロの内部で決定していたことなんです。①分社化する、②チーム名から企業名を外す、③ジュビロの名前も使わない。ヤマハの中でそこまでやると決めていたんですね。私はそれが決まったあとで社長に呼ばれて来た。その方針を聞いて『すごいなあ、腹括ってるなあ』と思いました。チーム名もロゴもエンブレムも、私が来る前に決まっていたんですよ(笑)。でも、私が関わったとしても同じものになっていたと思う。コンセプトはどんぴしゃ。心から共感できるものでした」

――それを主導したのはヤマハのどなただったのでしょう?

「ヤマハ発動機ジュビロ時代にラグビー部長を務めていた上田弘之さんと堀川隆延監督が中心になって、ヤマハ発動機の経営陣、役員の方々と話して、英断を引き出したと聞いています。新リーグはヤマハ発動機ジュビロの監督だった清宮克幸さんが日本協会副会長になって推進した構想だったし、その理念を先頭で体現していこうという思いがあった。その後、清宮さんは新リーグの担当を離れたけれど、ヤマハのその姿勢は変わらなかった。ヤマハ発動機自体が『感動創造企業』というアイデンティティを持っていたことも大きいと思います」

――山谷さんが社長に着任したのが2022年の7月。それに先立ち、6月23日には新チームの設立発表会見を静岡県庁で開きました。リーグワンで親会社からの独立、株式会社化の第1号でした。

「独立分社化は1丁目1番地、真っ先にやらなければならないことと認識していました。ラグビーチームが自分たちで稼げる存在になる、そのために意志決定する当事者になるには、親会社の一部門ではなく会社として独立していないとスピードが絶対的に足りないんです。それと、行政なりスポンサーなりのステークホルダーから見ると、誰と話せば良いかがわかりやすいんですね。これは実際に行政の方から言われたことです」

ヤマハ発動機ジュビロから、静岡ブルーレヴズへと新たなスタートを切った会社設立記者会見。
左から、堀川隆延(現ヘッドコーチ)、山谷拓志、
星野明宏様(当時一般社団法人静岡県ラグビーフットボール協会代表理事)、
大石哲也様(静岡県スポーツ・文化観光部スポーツ局スポーツ政策課 課長)

――そして1年目。開幕を前にコロナ感染者が出るなど、5試合が中止、うち2試合がホームゲームでした。観客動員は平均3600人。リーグの平均を下回ってしまいました。

「厳しかったです。ですが、これはギリギリ、これまで興行ということをやっていなかったチームが1年目で、コロナの中で四苦八苦して、やれるだけのことをやった結果、ギリギリで及第点だったと受け止めています。まったくのタラレバ結果論なのですが、ホーム開幕戦になるはずだったサンゴリアス戦は、前売り状況からいって7000人は確実に見込めたんです(苦笑)。それがあれば、リーグ平均はおそらく確実に上回っていた。もうひとつ中止になったのも、エコパでの神戸戦で、こちらも動員の期待できた試合だったので、痛かった。

2022シーズン最終戦5月8日の東芝ブレイブルーパス東京戦。シーズン最多6,326人の集客も、
ヤマハスタジアムのキャパシティ15,165人の60%程に留まり、
空席もかなり目立つ状態。

ただ、厳しいなりに良かったというか、勉強になったのは、コスト感覚が研ぎ澄まされたことです。収入が期待ほど伸びなかったことで、シーズンの後半戦、運営に使えるお金が不足した。これは分社化したから直面した厳しさなんですね。会社の予算をもらって運営するラグビー部だったら、収入が不足してもとりあえず予算を使えた、あるいは会社の予備費など臨機応変な対応が取れたでしょう。でも分社化して単年度の予算を立てて運営する以上、それはできない。自分たちで支出を削るか、収入を増やすかしないといけない。

たとえば、ホームゲームで炎やスモークをあげる演出を考えていたのですが、予算を削減しなきゃいけないとなって、じゃあどんな演出ができるだろう? と考えて、ヤマハ発動機の社員のみなさんに大漁旗を持って並んでもらうという演出になりました。芸能人を呼ぶイベントなどはが予算的にできなかったのでできなくなったときは、建機、重機をレンタルしているスポンサー企業やのメーカーや消防署など公共機関に協力していただいて『はたらく自動車大集合』というアトラクションに切り替えて、子どもたちにすごく喜んでもらえた。ホストゲームホーム開幕戦で配布したフリースポンチョや、エコパのトヨタ戦であげた花火も、営業スタッフが頑張ってスポンサーを探して費用を賄いました。たくさんの方々にご協力いただけたからですが、スタッフが運営のため、お金を捻出する、あるいは支出を減らす、経営感覚は研ぎ澄まされたと思います。厳しい収支状況だったからこそ、みんなで知恵を出し合って乗り越えられた。筋肉質の経営ができて、これから投資すべき方向、運営する方向が見えたと思います」

ヤマハ発動機ジュビロからの伝統・社員選手の所属部署の皆様が作ってくださる「大漁旗」。
この由来は、三村勇飛丸(ゆうひまる)選手が入社当初、所属部署の社員の方々が考えて
「勇飛丸の名前が漁船みたいだから」という理由で作ったのがきっかけ。

――ブルーレヴズの試合ではボランティアのみなさんも目立っていましたね。

「私たちは『レヴズ・クルー(Revs Crew)』と呼んでいるのですが、ボランティアのみなさんの存在は大きかったです。ラグビーファンなら本当は試合を見たいはずなのに、裏方に回って働いていただいた。お話を伺うと、2019年のワールドカップでボランティアを経験して、またやりたいと思っていた、こういう機会を待っていたという方がたくさんいらっしゃいました。静岡だけでなく、東京や神奈川からボランティアのために通ってこられる方もいらっしゃいます。ご来場いただいたファンのみなさんからも『ボランティアのみなさんのお見送りがすごく良かった』という反応をいただきました。経営的には費用圧縮の効果もあったけれど、それ以上に大きかった。ファン目線で現実的な意見、改善点も出してもらえました。これもブルーレヴズの文化になっていくといいと思います」

試合終了後、レヴズ・クルーが並んで作る「お見送りフラッグ」。勝っても負けても、
またビジターゲームはヤマスタに来たいと思ってもらえる「おもてなし」をしてくれる。

――それらは2年目の営業活動にもいい影響を与えるでしょうね。

「正直な感覚として、ラグビーのスポンサー獲得のための営業活動をしていると、バスケットボール時代とは違う規模のお話をいただけるんです。『ラグビーを応援したいです』という反応が多くの企業の方からたくさん出てくる。これはなぜだろうと考えてみたんですが、ラグビーは誰もがやったことのあるスポーツではない、良い意味で敷居の高いスポーツだと思うんです。野球、サッカー、バスケットボールは体育の授業なり、草野球や草サッカーで多くの人が経験していると思うけど、ラグビーはそうではない。簡単にできるスポーツではないですよね。スクラムも組むしトップスピードで走りながらぶつかりあってもケロッとしている。実際、試合を見た方からは『こんなにすごいとは思わなかった』という声を聞きます。チケットの価格も『こんなすごい迫力のゲームを間近で見られるんなら』と、1万円や2万円の価格設定も理解していただける。静岡県内の企業経営者のみなさんのもとを回らせていただくと、かなり多くの方がワールドカップのアイルランド戦をエコパで生観戦していて『あそこにいたんだよ』『あのラグビーの、地元のチームを応援できるなんてうれしい』という反応をいただいています」<続>

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大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。