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青い海を越えて|ヴァレンス・テファレ

英国で生まれたラグビーはヨーロッパや南半球の様々な国で盛んなスポーツであり、NTTリーグワンでも海を渡ってきてプレーする選手は多い。
ルーツも日本に来た経緯も様々で、それぞれにストーリーが存在するが、それを語る機会は多くはない。

そこで、静岡ブルーレヴズオフィシャルライターの大友信彦氏によるインタビューを通して、国籍やルーツは違えど同じブルーレヴズとして戦う選手たちの物語をお伝えする。

それが、”Beyond the BLUE ocean~青い海を越えて~”


リーグワン2024-2025。開幕から好調な戦いを続けている静岡ブルーレヴズで、レヴニスタの熱い視線を浴び続けている選手が、開幕直前に加入したヴァレンス・テファレだ。

開幕のコベルコ神戸スティーラーズ戦では、3-13と劣勢の後半21分にピッチに入ると、直後の23分に来日初トライを決め、劇的逆転勝利への狼煙を上げた。
第5節の東芝ブレイブルーパス東京戦では初先発で2トライをあげ、昨季王者を破る金星の立役者に。
そして第6節の東京サントリーサンゴリアス戦では前半20分、自陣ゴール前から約95mを一人でゲインして倒れても起き上がり、走行距離でいえば100m超を走り切るという、圧巻、豪快、スリリングきわまりないトライまで決めて見せた。

いま、レヴニスタを最も熱くさせる男、ヴァレンス・テファレ選手をブルーレヴズオフシャルライターの大友信彦が直撃した。


――ようこそ日本へ、そしてブルーレヴズへ!来日早々の大活躍ですね。
シーズン開幕直前の加入でしたが、レヴズにやってきた経緯を教えていただけますか。

「レヴズが私のことに興味を持ってコンタクトをとってきたと話を聞きました。ケガというか、ちょっとコンディションが微妙になった選手がいたということだったようです」

プレシーズンマッチ出場を経て、開幕直前に正式入団に至った

――もともとニュージーランド(以下、NZ)の出身ですね。

「はい。出身はワイカトで、ワイカトのU16、チーフスのU18、U20でプレーしていました」 

――当時のポジションは?やはりオールブラックスを目指していたのですか?

「左WTBでした。オールブラックスは…キーウィ(ニュージーランド人の自称)全員が目指していると思います(笑)」 

――そのあとオーストラリアのラグビーリーグ(13人制)に移籍しましたね。どういう心境で転向したのですか?

「新しいチャレンジをしたいという気持ちでした。2020年、20歳の頃まではオールブラックスを目指してラグビーユニオン(15人制)でプレーしていたけれど、なかなかチャンスがなくて、私自身が変化を求めていたんです。そのころちょうどオーストラリアのラグビーリーグ(13人制)にドルフィンズという新しいチームができてそこからオファーを受けました。コーチはウェイン・ベネットというラグビーリーグ史上最高のコーチでした。彼のことはNZのラグビーユニオンでプレーしている間も聞いていたし、彼のもとでプレーできるのは私にとって大きなチャンス、彼から新しいことを学びたいと思ったんです」 

――13人制ラグビーという競技は日本のファンには馴染みが薄いのですが、すぐに慣れることはできたのですか?

「慣れるには少し時間がかかりました。NZにもラグビーリーグはあるけれど、私は一度もプレーしたことがなかった。ルールにも必要なスキルにも違いがあります。オーストラリアに行って最初の1年くらいはリーグのルールやテクニックを学ぶ時間でした」 

――苦労したのはどういうところでしたか?

「特に違うのはタックルのテクニックです。ラグビーリーグにはラックやモールがなく、前進が止まるまで5回のアタックが認められている。守る側は、相手の5回のアタックの間、トライさせなければ次は攻撃権を得られる。倒しさえすれば1回のアタックは終わるからジャッカル(スティール)を考える必要がなくて、むしろオフロードパスをさせないため、相手の上半身にタックルする必要があるんです。慣れるまでは少し時間がかかりました」

――2022年にはオーストラリア・クイーンズランドのラグビーリーグアワードで最優秀CTBに選ばれました。リーグでのポジションはCTBだけですか? WTBや他のポジションは?

「CTBで、ときどきWTBもやったけどBK(バックス)だけです。FW(フォワード)はやっていません」
 
――2023年もラグビーリーグで大活躍したようですが、2024年は公式戦には出場記録がありませんでした。どのように過ごしていたのですか?

これはどのチームでもあることだけれど、Bチームではプレーしていたんです。オーストラリアのラグビーリーグ(NRL)ではAチームの公式戦の他に、Bチームの大会もあって、私はそちらでプレーしていました。ただ、ドルフィンズとの契約は2024年で終わるので、次はどうしようかなと思っていたときに、レヴズからのオファーを受けたのです。これは自分にとってベストなオプションだと思い、即決しました」
 
――ラグビーリーグ時代の映像を見ると、今よりも体がガッチリしていたように見えます。

「体重は今よりも多かったですね。でも、BKはやはり走ることが大切なので、メディカルスタッフとも相談して、ラグビーリーグ時代から体重を絞っていたんです」

雨の開幕戦で出場の時を待つ

――そして来日してデビュー戦で出場即トライ。先日のサンゴリアス戦ではほぼ100mを独りで走りきるスーパートライ。素晴らしい活躍です。

「デビュー戦のトライも、サンゴリアス戦のトライも、どちらもゲームでのファーストタッチだったんです。特にサンゴリアス戦は、それまで20分の間、まったくボールに触れていなかったので、もうやる気に満ちていた(笑)」

――リーグワンの今季のベストトライ候補だと思います!あの場面、自陣のゴール前でボールを持ったときからトライはイメージできましたか?

「SOの家村からパスをもらって前を見たとき、右に相手のフロントローの選手がいるのが見えたんです。これは、外に抜けると思いました。最初は抜くことだけを考えました。相手の右WTBの位置にはBKの選手がいたけれど、こちらの外側の選手を見ていたので、その間を抜いたときにはもう前には誰もいなかったし、強気に、トライを取るつもりになっていましたね。右へ行っても左へ行っても、どっちに行ってもトライになると」

――相手のSOがカバーディフェンスに走ってきて、逆を突いて左へステップを切って、足先を弾かれて一回転しましたがまた起き上がって、トライまで持って行きました。

「あそこは抜いたつもりだったんです。転ぶとは思っていなかった(笑)。でも、抜いたつもりだったからボールもしっかり持っていたし、起き上がってすぐ走れたんだと思います」

――子どもの頃からあんなふうに『絶対トライを取ってやる!』という気持ちでプレーしていたのですか?

「ははは、誰だって、白いラインを超えてトライしてやりたいと思っているはずです」

――もともと、ラグビーは何歳で始めて、ポジション歴はどうだったのですか?

「ラグビーを始めたのは5歳か6歳くらいでした。ポジションは、最初は10番(SO)でした。そのあと9番(SH)もやって、FWのフッカーをやったこともあります。セブンズではPRでした。セブンズはワイカトの代表になって、オールブラックスのトライアルまで行きました。ワイカト時代にセブンズのアカデミーに招集されていたんです」
 
――そのあと、ラグビーリーグを経て静岡へやってくるのですが、ラグビーリーグを経験したことは、自分にとってどんなことがプラスになっていますか?

「そうですね…ハイボールキャッチについてはラグビーリーグの経験で自信になったと思う。もともとはあまり自信がなかったけれど、ラグビーリーグ(13人制)ではラグビーユニオン(15人制)以上にハイボールが多用されますから」
 
――テファレさんの迫力あるハイボールキャッチも、想像するだけでワクワクします。そして昨年レヴズにやってきたのですが、レヴズの印象を聞かせて下さい。

「まず、ここに来られたことがすごく嬉しいです。日本の人たちはフレンドリーで、優しくて、私も大好きです」

――日本での生活には慣れましたか? レヴズで特に仲良くなった選手がいたら教えて下さい。

「すぐに慣れました!今は若手の選手と一緒に寮に住んでいるので、ソーマ(岡﨑颯馬)、ヤギ(八木澤龍翔)なんかと一緒にいることが多いかな」

――外国出身選手が寮に入るケースは多くないと思いますが、不自由なことや戸惑うことはありませんか?

「全然平気です。私はNZでも、ハイスクールの時から寮で暮らしていました。当時は家がオークランドにあって、ハミルトンまではクルマならハイウェイで1時間ちょっとで行ける距離だったけど寮に入っていたんですよ(笑)」
 
――静岡で暮らしてそろそろ2ヵ月、行ってみて良かったスポット、食べてみて美味しかったものは何かありましたか?

「焼き肉ですね!近くにある焼き肉屋に、寮の選手たちと行きました。とても美味しかった!」

――寮にいる若手選手たちにいろいろなお店を教えてもらってください!リーグワンでラグビーをプレーした印象はいかがですか?

「すごく競った試合が多くて競技性が高いリーグだと感じています。ゲーム自体は『フリーフロー(free flow)』といえばいいかな。ゲームの流れがすごく早い。ボールがタッチに出たと思ってもクイックスローインで継続されることが多いし、ボールもワイドに動く。タックルもミサイルみたいに速く足首に飛んでくるのが印象的です」
 
――そのゲームスタイルはテファレ選手にはあっていますか?

「もう、100%あっています!ここでプレーするのが楽しくて仕方ないです」

――テファレ選手はどのくらいレヴズでプレーしようと考えていますか?

「そうですね…できるだけ長くここでプレーできたらいいなあとは思っていますが、今はまず今シーズン、自分の仕事をすることしか考えていません」
 
――日本ではNZ出身の選手が何人も日本代表になっています。気が早いですが、ファンの間では、そんな未来を期待する声も聞かれます。

「そうですね、あと4年後くらいの話になるのかな…ちょっと先のことなので、そこまではまだ想像できませんね(笑)。今は、目の前のプレー、ブルーレヴズでのプレーに集中して、ラグビーを楽しんでいこうと思っています」
 
――ありがとうございます。最後に、ブルーレヴズの熱いファン、レヴニスタのみなさんへのメッセージをひと言お願いします。

「いつもサポートしていただき、本当にありがとうございます。このチームに仲間入りできて本当にハッピーです。僕の名前はヴァレンスですが『ヴァル』と呼んでもらえればOKです。これからもよろしくお願いします!」
 
――ありがとうございました。次の試合でもものすごいトライを期待しています!


Text by 大友信彦(静岡ブルーレヴズ オフィシャルライター)
Photo by 静岡ブルーレヴズ /谷本 結利(静岡ブルーレヴズ オフィシャルフォトグラファー)

大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。