大久保直弥「カオスから考えさせる」【インタビュー】
Text by 大友 信彦(静岡ブルーレヴズ オフィシャルライター)
Photograph by 静岡ブルーレヴズ、谷本結利
インタビュー:2022年10月11日
大久保 直弥:(おおくぼ なおや、1975年9月27日)
役職:アシスタントコーチ/パフォーマンスディレクター
現役時ポジションLO・FL / 身長188cm / 神奈川県出身
元ラグビー 日本代表選手(23キャップ)。高校生まではバレー部でインターハイや国体出場を経験し、法政大学入学後からラグビーを始める。卒業後はサントリーで1998年から2009年までプレーした。1999年、2003年にはワールドカップに出場し日本代表として活躍。現役引退後はサントリーサンゴリアス(当時)やNTTコミュニケーションズシャイニングアークス(当時)でヘッドコーチを務め、その後はスーパーラグビーに日本チームとして参戦したサンウルブズでもヘッドコーチを務めた。2020年7月にヤマハ発動機ジュビロ(当時)に加入。
――大久保さんが静岡へ来られたのは2020年トップリーグ最後のシーズン、ちょうど清宮前監督が退任されたのと入れ替わる形でした。今季は3年目になりますが、この間、チームはどのように変化あるいは進化してきましたか。
「それまで10年間、清宮克幸さんが引っ張ってきたヤマハ発動機ジュビロ(以降ヤマハ)のチームへのリスペクトは強く持っていました。自分自身、サントリーサンゴリアス(以降サンゴリアス)で清宮さんのもとでプレーしていたし、一緒に仕事もして、清宮さんのラグビー哲学を学び、コーチとして成長させてもらいました。ヤマハは対戦相手として見てもいつも手強いチームで、戦略的にも気を抜けないチームという印象を持っていました。
その一方で、僕が来たときはちょうどゴロー(現CRO五郎丸歩)の最後のシーズンで、コーチ兼任だったタツ(大田尾竜彦・現早大監督)も、(山村)亮も、そろそろ引退が近づいてきて、この10年間チームを引っ張ってきたインターナショナル級の選手たちから次の10年に向けてどう世代交代を図っていくかという時期でした。矢富勇毅はまだ元気だけど(笑)。しかも、ヤマハのスクラム文化を築いてきた長谷川慎さんもジャパン(日本代表コーチ)に行って、ヤマハのスクラムのノウハウが全チームにシェアされていった。次の10年、どうやってチームが勝ち残っていくか、変革が求められている時期でした。そういうときにこちらにきたことにもご縁を感じましたね」
――清宮さんはスクラムと五郎丸さんのロングキックという武器を最大限に活かすために効率的なゲームプランを目指していた印象が強いです。
「ラグビーそのものも変化していたし、それに代わる新しい武器を探さないといけない時期でしたね。それまではシンプルに戦い方を絞ってやってきたけれど、次のステージを目指すには判断力が必要。個々が判断する基準、範囲を少し広げて、選手自身が考えるようにならないといけないと思い、変革に着手しました。まあ、1年目はカオス(様々なもの/状態が絡み合って混沌としている)になりましたが(笑)、2年目にはようやく、少しずつストラクチャーができはじめて、格上のチームにも接戦できるようになってきた。混沌とした段階を経て、新しいものが生まれたと思います」
――静岡へ来る前、サンウルブズのヘッドコーチ(2020年)時代もそういう経験をされていますね。
「サンウルブズもそう。あれはもっとカオスだったけど(笑)、そこからまとまっていくプロセスがあってチームができていった。そういう意味で『一度は混乱する段階を経たほうがいいな』と思っています。そこを経験することで、チームの基盤が強くなる。
そういう流れで来た3年目ということで、今のところは順調に来ています。去年と同じところにいるわけじゃない、という意味でですね」
――カオスの状況はどのように選手に対して与えたのですか。
「あえて説明しませんでした。大まかな方向性は示すけれど、どうやってそのイメージを実現するかは『考えてください』と選手に投げました。
僕が来る以前、清宮さんは、選手の個性を見て『あなたはコレをしなさい』と明確に示すことで、効率よく勝利することを目指していて、そうしてもらう環境が当たり前、居心地いいという選手も多かった。でもいつまでも同じ場所にいては成長しない。あえて、居心地の良い場所から出てもらうことを考えました」
――同じことをしていては勝てないと。
「そうです。じゃあ具体的に『あなたはこれをやりなさい』というやり方でワイルドナイツやサンゴリアスに勝てるのか?と。彼らはスキルが高くて、フィジカルもメンタルもタフで、考える力、判断する力がある。ラグビーを取り巻く環境も変わってきて、お互いに細かいところまで分析もしている。事前に『これをやって勝ちましょう』というのが成り立つレベルではないんです」
――カオスの作り方について。コーチはどのような指示というか提案でカオスの状態を作るのでしょう?
「実際の練習メニューは、全体のタイムスケジュールもあるので、コーチングスタッフがリードすることになりますが、全体練習の始まる前にコーチ陣とリーダー陣のミーティングで『今日の練習ではゲームの中のこういう状況を意図してやるから、そのためのアップをやって』と伝えて、リーダー陣が練習をリードする時間を作りました。最初の10分とかですが、練習メニューを考えるのって結構大変で(笑)、ゲームを進めるときに何を考えなければいけないか、リーダー陣が考える手助けになったと思います。リーダー以外の選手にとっても、コーチ陣から与えられるよりも、リーダーから言われることで伝わりやすい、受け身にならず、選手の集中力も高まる効果がありました」
――それはサンウルブズやサンゴリアスでも使った手法ですか?
「サンウルブズでは似たようなことをやりました。サンゴリアスではそういう仕掛けをしなくても自分から行動するリーダーがいましたね。でもブルーレヴズでは受け身の選手が多くて、環境を変えてあげる必要がありました。でも環境を変えると、受け身の姿勢も変わるんですね。イキイキとしてくる」
――それはコーチの技量も求められますね。
「そうですね。コーチとしても『こうやろう』と決めてしまう方がラクですけど、そこは我慢しどころですね。僕たちが助かったのは、ブルーレヴズには三村勇飛丸や大戸裕矢、日野剛志、伊東力、クワッガ・スミスといったシニアメンバーがいて、コーチと選手の間に入って、コーチの意図を理解して率先して動いてくれた。矢富は選手兼コーチとしてスタッフと意図を共有していましたし、助けてもらいました」
――次に、今シーズンの準備状況について伺います。9月11日の釜石シーウェイブスRFC戦から始まって、17日のトヨタヴェルブリッツ戦、23日のクリタウォーターガッシュ昭島戦、10月1日の清水建設江東ブルーシャークス戦と、プレシーズンマッチ4試合を消化しました。
「7月半ばにチームを始動させて、ここまで12週間は、シーズン全体の中で一番キツい時期だったと思います。ブルーレヴズはリーグワンのトップチームに対して、まだまだスピードもパワーも劣っている。フィジカル的に見て線が細いなというのが現実です。だからこの時期に、FWはみな筋肉量を2㎏増やそうと目標を立てました。でも、だからといってウェートトレーニングだけやってればいいわけじゃない。
ラグビーは『走るか?強くなるか?どっち?』という二択のスポーツじゃなく、 両方やらなきゃいけない、強くて走れなきゃいけないスポーツですから。両方要求しました。キツかったと思います」
――トレーニングメニューの設定は難しそうですね。
「そこは、ハイパフォーマンスマネージャーの新田博昭さんがいいメニューを組んでくれて、いいところを攻められたなと思いますよ(笑)。走りすぎて痩せてもダメ、筋肉を増やしても走れなくなったらダメ、追い込みすぎてケガをしてもダメ。その絶妙なところを突いてくれた。ケガ防止のためには、12週間全体のメニューを立てた上で、個人のコンディションにあわせた微調整も毎週やってくれました。疲労がたまっていると判断した選手については、思い切ってトレーニングから外すこともしました。そこはインターナショナルも含めた新田さんの経験から来るもので、職人技の判断でした。感謝しています」
――この4試合は、ハードな練習を重ねながらの試合だったわけですね。
「試合に向けた調整とかしないままで実際のゲームに臨むわけですから、そこはキツいです。ただ、練習でやっている取り組みを試合で出せるかどうかというテストをやった方が、選手自身も成長を実感できるから試合はやりたい。もちろん試合をする以上は選手もコーチも勝ちたい。ただし、まず優先されるのは全体のスケジュール。これは、試合に負けたときに備えた言い訳じゃなく、どの時期にはどこまで成長していたいかというスケジュールで、試合は成長ぶりを判断する材料として、練習でやってきたことをどれだけ出せるかをテストするのが目的です。そこにチャレンジするのが大事」
――オーストラリアAと戦っている日本代表の立場とも似ていますね。
「今回のオーストラリアA戦は、本当にいいマッチメークだと思いますね。相手もワラビーズ入りを目指して必死に来る立場だし、かなり強い。この相手に勝ちきるのは簡単じゃない。日本代表はすごく良いレッスンをしたと思います」
――11月に入ると、4日にヤマハ大久保グラウンドで三重ホンダヒート戦、19日に草薙で横浜キヤノンイーグルス戦、26日にエコパでコベルコ神戸スティーラーズ戦と注目のプレシーズンマッチが続きます。注目の選手をあげていただけますか。
「たくさんいますが、一人あげるなら1番のPR河田和大ですかね。昨シーズンも始まる前は、自分を表に出さないタイプでした。試合に出たいのか出たくないのかよく分からないというか……。ブルーレヴズにはそういう選手が多い気がします。大学時代にそんなに活躍していたわけではない、年代別の代表歴もない。かといって、ハングリーでもない。東京でも大阪でもない、地方ののんびりした空気が合っているというか。それが10年近く同じメンバーで戦ってきた、世代交代が進まなかったという現実に繋がっていたと思うんです。そうじゃないんだ、もっと自分からポジションを取りに行かなきゃダメなんだ、競争していかなきゃダメなんだということに、気付いてほしかった。
その点で、河田は昨シーズンの途中で少しずつ変わってくれました。これは本人が気付いたというか、3番の伊藤平一郎が気付かせたという面が強いです」
――伊藤選手は同じPRでも3番、河田選手とは練習でトイメンになるか、一緒の側で組むか。どちらのアプローチだったのですか?
「伊藤からしたら、1番がしっかり組んでくれないと3番の自分が苦しくなるから必死に教えたんじゃないかな(笑)。同じ側で組んで、1番がどっちに崩れると3番がどう崩れるのか、そうならないためにどうしてほしいのか、そういうことをかなり細かく話していた。これはコーチが教えるより効きます」
――崩れたら痛い思いをする、下手したら大変なケガをする仲間ですしね。
「ただ言えるのは、河田にはスクラムの素質があったということです。それは3番をサポートすることを意識して1番で組める技術と性格。伊藤はその才能を見抜いたんでしょうね。スクラムを組むとなると、目の前の相手と勝負したくなる(笑)。独りよがりのスクラム勝負に行ってしまう選手もよくいるんです。その点、河田は人の話に耳を傾けることができる。チームとしてのスクラムを組める。本質的にそういうヤツなんです」
――河田選手のプレーとこれからが楽しみになりました。次の試合ではいままで以上にスクラムの攻防に注目してみます!<了>
大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。