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矢富勇毅 ~コーチとして日本代表を目指したい~後編【PLAY BACK Interview④】

Text by 大友信彦(静岡ブルーレヴズオフィシャルライター)
Photo by 静岡ブルーレヴズ /谷本 結利(静岡ブルーレヴズ オフィシャルフォトグラファー)

6月8日、昨季で現役を引退した矢富勇毅さんの2024-25シーズンの静岡ブルーレヴズ・アシスタントコーチ就任が正式に発表された。

今回はシーズンエンドインタビュー・矢富勇毅【後編】ということで、コーチとしての目標や、静岡ブルーレヴズの未来を背負うSHの後輩たちへ向けての、矢富勇毅新コーチの想いをお届けする。

前編は▼

――現役引退を決意した時点で、コーチ就任は決まっていたのですか。
「いろんなタイミングが重なった結果だったと思います。選手としても、昨季(2023-24シーズン)は、その前よりも確実にコンディションが良くて、自信を持ってシーズンに臨んだけれど、そこまで試合に出るチャンスをもらえなかった。僕自身、岡﨑(航大)やブリンのプレーを見ていて『オレはもっとやれる』という感覚よりも『今のオレじゃちょっと届かないかも…』という感覚を持ってしまった。感覚的な部分ですけど、初めてそういう感覚を覚えたんです、悔しいけれど。
もちろん、実際の試合に出れば経験やフィジカルの部分でカバーできるんです。ただ、冷静に俯瞰して見たとき、SHとして、いろいろな状況で求められるプレーができるかどうか、パフォーマンスレベルが同じだとしても岡﨑にプレータイムを与えた場合にどれだけ成長できるか、それがチームをどう成長させるかを考えた場合に、チームとして選択すべきはそっち(岡﨑)じゃないかと考えたんです。
選手の立場で言えば、もちろん試合に出たいです。自分が選ばれなかったときは人のせいにする(笑)。でも一度コーチをやると、選手のセレクトにはいろんな視点があることが分かるんです。チームとして、1年先、2年先のことも考えなきゃいけない。
選手として『オレは負けてない』という気持ちもありました。その一方で、岡﨑が試合に出るならいくらでもアドバイスしよう、少しでも手助けしようという気持ちもあった。オジサンとしては、メンバーから外れたときにどんな態度を取るか、チームに良い影響を与えられる存在でいなければと考えていました」

――一方で『自分も早くコーチを始めたいな、という気持ちが強くなったんです』とも仰いましたね。
「コーチにとっても経験を重ねることが大事だし、早く始めた方が成長するチャンスが多いですよね。そう考えたとき、もう1年選手でやるのと、コーチを始めるのとでは結構違うかな…という気持ちになってきた。そういうときに、藤井監督からコーチになるという選択肢もあるというお話をいただいて、自分の中で折り合いがついた感じです。こういうことってタイミングですからね。
 
まあ『40歳まで現役でプレーします』と公言していたので、そこは残念だし、嘘をついたことになってしまってゴメンナサイなんですが…一応、4月からは新年度になったし、次の2月には40歳になるので『40歳になる年度まで現役でプレーした』ことにはギリギリなるのかなと、自分の中では言い訳しています(笑)」

――SHの後継者について伺います。まず、先ほども名前の出た岡﨑選手について。ポテンシャルを高く評価しているようですね。
「何がスゴいって、SHを始めて3-4ヵ月であれだけのプレーはなかなかできないですよ。それは、大学からSHを始めた自分だから分かる。非凡な才能を感じます。シーズン中、きっと壁にぶち当たると思っていたんですよ。SHとしてのスキル、経験は当然不足しているし相手の強さもある。でも岡﨑はその壁にぶつかるたびに成長していった。SHというポジションへの向き合い方も、途中からは本気で『オレはSHでやっていくぞ』となったと思う。25歳からというのは遅いかもしれないけど、そのハンディを克服できるだけの才能、SHとしてのセンスと気持ちの強さを感じます。SOもできる、CTBをやってきた身体の強さも他のSHにはない強みです。素晴らしいSHになってほしいし、なれると思う」
 
――今回、矢富さんだけでなく吉沢文洋さんも引退、ブリン・ホールさんも退団と、SHは年長の3人が一斉に抜けました。レヴズはSHの層が薄くなるのでは?と心配する声もあがりそうですが…。
「田上稔は昨季はケガでプレーできない状況でしたが、僕とブリンと吉沢と岡﨑がいて、シーズンに入ってからオーストラリアでプレーしていた吉岡(義善)、NZの高校を卒業した加藤大冴、アーリーエントリーで立命館大から入った北村(瞬太郎)がいて、岡﨑も入れてSHは8人いたんです。けっこう大勢いるなという感覚でした。なので、層が薄くなるわけではないと思います」
 
――ひとりずつ、プレーの特徴と期待するところを話していただけますか。
「田上は去年、ケガでプレーできない状況だったけど、ここ数年はずっと試合に出ていた実力者です。年齢でも27歳で、SHでは一番年長になる。ジュニアジャパンや高校日本代表の経験もあるし、ケガから戻ればSHの中心になれる存在ですね。

最年長として真価が問われる田上稔。早くピッチでのプレーがみたい!

北村はスピードが抜群で、SHとしてうまくなりたいという向上心が強いです。あとタックルがいいし、負けん気が強い。これはSHとしては欠かせない大切な能力です。あとは細かい技術、SHとしてのコミュニケーション力を磨いていったら素晴らしい選手になる。

全体練習後に矢富勇毅とひたむきにパス練を続けてきた北村瞬太郎

(加藤)大冴も楽しみです。NZからの逆輸入選手で英語がしゃべれるし、めちゃめちゃタックルする。さすがNZでデカい相手とずっとラグビーしてきただけのことはありますね。何より、18歳で僕らの練習にずっとついてこれる選手なんていませんよ。それを1シーズンやりきったのは本当にスゴい。スキル面では高校生あがりだし、まだまだ発展途上だけど、それは伸びしろが一番あると言うこと。これから大学の4年間に相当する時間に入るわけで、この間にどれだけ成長して化けられるか。ブレイブルーパスのワーナーやワイルドナイツの福井くんが日本代表になって、自分の選択した道を証明したように、タイガの選択の価値も証明できるようにサポートしていきたい。

誰よりも若いパワーでどんどん成長していく加藤大冴

そして吉岡は、東洋大を卒業してからオーストラリアでプレーしていて、練習生でレヴズに来て入団したんですが、とにかくマジメ。これはラグビー選手が持っていそうで、なかなか徹底できない部分です。苦しいときでも文句を言わずにやるべきことを継続できるのは武器だと思う。ブルーレヴズはそんな個性も発揮できるチームだと思いますね」

コツコツと努力を重ね成長している吉岡義喜

 ――それぞれ異なった経歴で、魅力的なキャラクターの持ち主ですね。
「ポテンシャルはみんな高いと思いますよ。ここに来ている選手たちは、能力を見込まれて採用されている、つまり選ばれた存在なんです。まずそれを自覚させたいですね。自分にはどんな能力があるのか、どんなプレーヤーなのかを理解して、足りない部分を把握して、努力して、チームのポジション争いのレベルを上げて欲しい。僕自身、田中史朗のパスを見て妬みを覚えましたし(笑)。SHとしてのベーシックな部分は高めてほしい。
でも、みんながみんな一緒になっても面白くないし、尖っていることも実力です。自分の個性、特徴を大事にした上で、自分のレベルを上げていって欲しいです」

 
――ブルーレヴズのSH全体にかけたい言葉、メッセージがあれば聞かせて下さい。
「全員に、日本代表を目指してほしいですね。トップレベルのチームにいる選手だったら世界を目指して欲しいし、そこは当然チャレンジするところだと思う。とは言っても僕もビギナーコーチなので、選手がジャパンになれるような指導ができるかといったら全然そこは分からない。ただ、自分の経験を伝えて、一緒に失敗もしながらそこから学んで、一緒に成長していきたいと思っています」
 
――矢富さん自身、コーチとしてどんな目標を。
「僕自身も目指すところは高く持っていたい。コーチとして日本代表を目指したいと思っています。リーグワンのチームでコーチングスタッフに入るということはそういうチャンスがあるということだと思いますし、それは選手の時と同じです。中学でラグビーを始めたときから『日本代表になるぞ!』という思いでやってきましたから。ただ、今はまだペーペーなんで、地に足をつけてやっていきたい。
特に学ばなきゃいけないと思うのはマネジメントの部分ですね。今までは選手として、ヘッドコーチを見る立場だったけれど、これからは選手60人に見られる立場になるわけで、大きな責任が伴ってきますから」

 
――一度兼任コーチを経験されている分、大変さは想像できる。
「兼任は辛かったですよ、メチャメチャ大変だった。コーチとしてスタッフミーティングに参加している間は選手に客観的な評価を与えなきゃいけないし、そういうビデオも見る。その上で、グラウンドに出たら選手に戻って、自分のプレーを高めることを追求しなきゃいけない。兼任コーチになるときは、正直『勉強できれば良いな』くらいに甘く考えていたんですが、思ってた以上にキツかった(笑)。でもそれも良い経験になったし、活かしていきたいです」
 
――ヤマハ発動機ジュビロ時代からの生え抜きとして、後輩たちに伝えていきたいものもあるでしょうね。
「2009年の活動縮小を経験した選手は僕が最後だったんです。僕が抜けて最年長になる日野(剛志)も大戸(裕矢)もそのあとの加入ですから。まあ、あれを経験して欲しいとはまったく思わないし、どんなことだったかを理解しろといっても無理だと思うけれど、ああいうことがあって今があるということはみんな知っていて欲しい。僕は静岡ブルーレヴズというチームが好きだし、オール静岡というチームのスタンスは素晴らしい、誇るべきものだと思っています。株式会社化したことも、オール静岡という地域との密着度も僕らの強みだと思う。一方で、今はチーム名からヤマハの名前はなくなったけれど、ヤマハの会社が支えてくれたから今があることは伝えていきたいですね」
 
――矢富さんも活動縮小のときはプロ選手から社員選手に変わったんですよね。
「はい。広報部に入って、情報発信をやってました。ラグビー選手でツイッターを始めたのは一番早かったかもしれない。YouTubeも先陣を切ってやってましたよ。懐かしいですね。
 そのときに学んだのが、愛されたいと思ったら自分から愛さなきゃダメということです。つまり、愛していることを意思表示しなきゃダメ。そのためには自分から発信することが大事。そうして初めて、自分のことを相手に知ってもらえる。愛するためには相手のことを知らないと愛せないですよね。ファンのみなさんに大事に思ってもらえるには、それが必要だと思う。
 
実は僕、ヤマハラグビーと同級生なんです。僕は1985年2月生まれで、学年で言うと1984年度の生まれ。ヤマハ発動機のラグビー同好会ができたのが1984年ですから、今年でちょうど40年。その時間をともに生きてきた者として、ブルーレヴズの新しい歴史を選手と一緒に作っていきたいです!」

選手としてのスパイクを脱ぎ、指導者として再びスパイクを履く姿が楽しみだ!

大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。