”BIND & TRY”はどのようにして生まれたか
レヴニスタの皆様、こんにちは。
そしてはじめまして。4月からブルーレヴズの広報責任者を務めている笹村 寛之(ささむら ひろゆき)と申します。
今回のnoteでは、3か月前に唐突に発表したブランドメッセージ“BIND & TRY”について、決定に至った経緯やそこに込めた想いを皆様に改めてお伝えするべく、ここに綴りたいと思います。
野球からラグビーへ
その前に、自己紹介をするべきですね。
私は、北海道は札幌生まれで、静岡はおろか本州で暮らすのも初めてです。長くなるので省きますが、4月までは北海道日本ハムファイターズに19シーズン勤めました。ファイターズは2004年に北海道に移転し(ファイターズでは頑なに“誕生”と言ってい)ましたが、私は翌2005年の入社です。
北海道も全国の多くの地域と同じで、かつては読売ジャイアンツの試合が連日テレビ中継され、“ジャイアンツ王国”と呼ばれていました。
私が子どもの頃も、そのジャイアンツが年に1回だけ札幌で平日のデーゲームを行うのですが、その試合がある日は、誰かが学校を休むと「あいつは?」「巨人戦のチケット当たったらしいよ」という会話がなされ、「巨人戦のチケットを持っていたら学校休んでも咎められない」という暗黙のルールがあった(と私は思っている)ほどです。
そんな北海道にファイターズが来ると決まった約20年前は、ファイターズの選手の名前を言える北海道民は少なかったと思います。しかし、そこに新庄(剛志)さんがやってきたことでメディアが注目し、さらにダル(ビッシュ有)や稲葉(篤紀)さんが加わるなどし、2006年には日本一となり、道民の心を掴んでいきました。そしてその後も大谷(翔平)くんが野球の歴史を変えたり、エスコンフィールド北海道で話題になったり。今となっては、北海道でファイターズの名前を見聞きしない日はありません。
ただ、私も職員の一人としてその過程を見てきたので言えるのですが、選手たちの存在は勿論偉大ですが、とてもとても広い北海道でどこにいっても応援してくれるファンがたくさんいるのは、それだけが要因ではないのです。
職員やマスコットが全道を回り、チームを知ってもらい応援してもらうための接点作りを地道にしていました。マスコットのB・Bは足掛け10年で北海道の全212市町村(当時)を訪問しました。なお、プロ野球は年間70日以上ホームゲームがあること、そして、道民にとっては札幌-旭川の片道1.5時間の車移動が「近い」という感覚であることも付け加えておきます。『水曜どうでしょう』をご覧になったことがある方は、「カントリーサインの旅」で全市町村を制覇したと想像してください。(余談ですが「水曜どうでしょう」はなまら(すごく)面白いです!)
私もスポーツ振興や地域貢献を担っていたころは、B・Bと一緒に各地へ行きました。札幌から車で6時間の標津町に3年連続で行ったりもしましたが、そこに住むファンは札幌のそれと同じ、もしくはそれ以上の熱量でファイターズを愛してくれていました。距離と熱量は必ずしも比例しないことを知りました。
今のファイターズがあるのは、それらの地道の活動と、選手・チームの活躍との両輪によるものなのです。
そんなファイターズで過ごした20年が、ブルーレヴズのこれからの20年に役立てないか?という想いで、ファイターズを卒業して静岡にきました。
"ALL FOR SHIZUOKA"をもう一歩前へ
さて、前置きが長くなりました。
そんな私にとって、ブルーレヴズに来てから最初と言える大きなアウトプットが今回の“BIND & TRY”です。
ブルーレヴズでも過去3シーズンは毎年スローガンが存在し、「次はどうする?」という議論に当然なるわけですが、そこで、単年のスローガンをやめ、長期にわたって掲げるフレーズを制定することを提案しました。
その理由は、“ALL FOR SHIZUOKA”というフレーズです。
入社して感じたのは、スタッフの中にこの“ALL FOR SHIZUOKA”が共通認識としてあること。これ自体は私も共鳴したし、前述した北海道とファイターズの20年を振り返っても、この思想はとても重要だと今でも思っています。
しかし、この言葉が共通認識ではあるものの、その位置づけに若干の曖昧さがあり、同時にスローガンが毎年併存することに勿体なさを感じたのです。
なので、“ALL FOR SHIZUOKA”ないしその思想を受け継ぐ言葉を、真の意味で「共通言語」としては?
それが出発点でした。
ポイントは3つ
そんな「共通言語」を考えるにあたり、最初から頭にあった点は3つ。
1つめは「静岡」で、理由は前述の通り。
2つめはラグビー用語を使うこと。
3つめは「革新・情熱」。
3つめに関しては、当社ミッションにも書かれるぐらい重要な点ですし、私がこのクラブに加わろうと決めた理由の一つでもあります。
この2つめと3つめを同時に満たすのが、ご存知“トライ”。
ただ、ラグビー用語として最もわかりやすい一方で、「ラグビー=TRY」というのが安直すぎるかなぁというのがずっと引っかかってました。
なので、“TRY”以外の部分で少し“遊び”をいれようという模索もしました。今回はその“遊び”は採用しなかったけど、いつか使えそうなのでこの場ではまだ内緒にさせてください。
そうして考え始めた時のメモには30以上の案があり、その中から13個を俎上にあげました。この時、“BIND”と“TRY”の2つの単語はバラバラに存在していました。が、この2つの単語に肯定的な意見が出たことで、“BIND & TRY”がちょっと輪郭を帯びてきました。ここからさらに絞っていきます。
わかりやすさとカッコよさの狭間
ここにきて少し話が逸れますが、私はオーストラリアに約1年、アメリカに約2年の留学経験があり、ファイターズでも外国人選手の通訳を3年間務めました。(最初に出てくる写真の意味がここで理解いただけるかと思います)
なので、こういうフレーズやタイトルを考える時も、日本語と英語の両方で考えます。ここで必ずぶつかる壁は、英語の“カッコよさ”と日本語の”わかりやすさ”のどっちをとるか。
同じ英語でもある程度の方が理解できるものである必要がある。かといって、平易すぎるとオリジナリティが薄れる。この狭間が難しい点です。さらに言うと、「どういう意味だろう?」とちょっと引っかかるぐらいを自然と目指しています。
今回でいえば、2回目の案においても英語が多く、その中に“BIND & TRY”も出てくるのですが、"TRY"はわかりやすい一方で、”BIND”は少し微妙なライン。そこで、「シズオカをバインドする」「シズオカでトライする」という日本語も案に”一応”入れました。でも、「長いし、これはないな」と正直思ってました。捨て案に近い感覚でした。
ところがこの”捨て案”が…結果は皆さんご存知の通りです。
予想していなかったので一瞬焦りましたが(笑)、今となってみれば、英語だけで伝わりにくい部分を日本語が補足してくれていると納得しています。自分だけの感覚に頼らないのは大事だなと改めて感じます。
こうしてフレーズがいよいよ決まり、ゴールが見えてきました。
タイミングも1つのメッセージ
ここでもう1つ重要なポイントが。
それは、これを8月21日に発表すること。静岡歴が浅い私には、この「県民の日」がどれほど浸透しているかわかりませんが、ただ、恐らく…あまり皆さん意識はしないかと。
ですが調べてみると、浜松県と静岡県が一つになった日だというではないですか。これぞまさに“BIND”。色々と考えたり調べたりしていると、こうして点と点がつながる瞬間がたまにあるのですが、これは隠れた快感です。
そんな歴史にも背中を押されて8月21日、“BIND & TRY”が皆さんの目に触れるにいたりました。
浸透よりも体現を
とはいえ、レヴニスタの皆さんにもまだ根付いていないと自覚しています。
ただ、こういうものは、言葉が浸透すればいいわけではなく、行動に表れて体現されていくことが大事。なので、焦ってはいません。
レヴニスタと静岡県民の皆さんから見て、ブルーレヴズがこの言葉を体現しているクラブだという印象が定着したら、この言葉は完成したと言えるのだと思います。それがいつのことになるかはわかりませんが。
…というか完成するものではないですね。常に未完です。
そして、この“BIND & TRY”はなにも選手たちや我々スタッフだけに向けた言葉ではありません。皆さんにも一緒に体現してほしい世界観です。
スポーツには、色々な人を結びつけるチカラがあります。それは例えば選手とファンだったり、REVS CREW同士の輪だったり、企業と行政だったり、たまたまスタジアムで隣に座った人だったり、この広い静岡全体だったり。
ブルーレヴズを媒介としてさまざまな人が繋がり、コミュニティが出来上がっていく、それこそが“BIND”の持つ真の意味で、そこから新たに“TRY”する勇気や土壌が芽生えたりする、それが目指す姿です。
この言葉がブルーレヴズに関わるすべての皆さんに当てはまる「共通言語」になればと願っています。
もちろん選手たちは多くの“TRY”を目指して突き進んでくれることでしょう。
その“TRY”の先には勝利が、勝利の先には優勝が、優勝の先には静岡の皆さんが喜びを分かち合う景色が、そんな巨大な“BIND”がもたらされる日を楽しみにしながら、私自身は広報としてその喜びが最大化するよう、「情熱」を持って「革新」に挑んでいきます。
それでは、30日後にヤマハスタジアムでお会いしましょう!