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岡﨑航大~「素人SH」SHらしくない、自分にしかできないSHになる~【PLAY BACK Interview⑤】

Text by 大友信彦(静岡ブルーレヴズオフィシャルライター)
Photo by 静岡ブルーレヴズ /谷本 結利(静岡ブルーレヴズ オフィシャルフォトグラファー)

2023-24シーズン、藤井監督が「最も成長した選手」として名をあげたのが、岡﨑航大(おかざきこうだい)である。

長崎県出身、長崎ラグビースクール→長崎北陽台高校→筑波大学を経て2021年に当時ヤマハ発動機ジュビロにSOとして加入

入団3年目の2023-24シーズン、開幕直前にそれまでのSOからSHに転向すると「素人SH」ながら第4節の三重ホンダヒート戦に先発してリーグワンデビューを飾り、そこから4試合連続で背番号9をつけて先発。SHの経験不足を感じさせない物怖じしないゲームリードをみせ、最終的にシーズン16試合のうちちょうど半数の8試合に先発(と途中出場2試合)と、チームで最も多くの試合でプレーしたSHとなった。
もっとも成長した岡﨑に、シーズンを振り返ってもらった。

取材日:2024年5月13日

――シーズン中の活躍は見事でした。開幕前にはこの状態を想像できたでしょうか?
「前のシーズン(2022-2023)が始まる前は『試合に出たいな』という気持ちだけで、10番(SO)として、全試合の半分は出たいな、というのが目標でした。もともと、大田尾さん(現早大監督)がコーチのときにトライアウトを受けて、大学時代はCTBだったけど『SOとして来てほしい』と言われて、SOをやるつもりで静岡へ来たんです。でも3シーズンが過ぎて、新監督の藤井さんに『SHをやってみないか』と言われて、今度はSHのポジション争いの中でどう自分らしさを出していこうか……と考えていました」

自身の成長を振り返り、言葉を重ねる

――SOで試合に出られない時間はどういうことを学んだのですか。
「まずはゲームコントロールですね。ゲーム全体を考えていないと10番(SO)は務まらない。その点で、キックの使い方をもっと身につける必要がありました。あとは、FWをコントロールすることですね。CTBのときは外側の選手とコミュニケーションを取って内側のSOに伝えるのが主な役目だったけど、SOはFWとSHをコントロールしながら、CTBからの情報ももらってゲーム全体をコントロールしなきゃ行けない。頭の中で考えることがいっぱいあって、最初は難しかったです。しかもケガが重なってしまった。1年目は大胸筋の断裂で手術して復帰まで半年かかったし、足の骨折もあった。脳震盪で3-4ヵ月、試合ができなかった時期もあって、ゲームで試せる機会がなかった」

――SHへの転向はどのように提案されたのですか?
「最初はコーチの有賀剛さんに言われたんです。『ハーフやってもらうかもしれないよ。でも、やるかどうかはちゃんと考えて決めて』と。そこで、藤井さんの口からはっきり理由を聞きたくて、聞きに行きました。そこで『やってみてダメなら仕方ないけれど、チャレンジしないのはもったいないと思う』と言われたんですね。僕のプレーを見てSHの素質があると見てくれたんだなと思って、だったらチャレンジしないのはもったいない、やってみようと思いました」

親身になって岡﨑の選手人生を考えてくれた有賀剛コーチ

――それまでSHの経験は?
「中学3年のときの花園の全国中学生大会で、ちょっとだけやりました。1~2ヵ月くらいかな。そのとき一緒だったのが今ブルーレヴズでPRをしている山下憲太です」
 
――SHというポジションにはどんなイメージを持っていましたか?
「まず、走るのはキツそうだなというイメージ(笑)。あと、10番とは違う難しさ、パスを誰に放るかの判断が難しいんだろうなと思っていました。よく一緒に練習していた矢富(勇毅)さんが『パスを放る相手を選ぶのがイヤなんや』とよく言っていたので」

――矢富さんにはSH転向について相談されたのですか?
「もともとハーフバック団で一緒に練習することが多かったので、しゃべる機会は多かったんです。だからSH転向についても相談しました。矢富さんには『自分らしさを消さない方が良いよ』と言われました。僕自身も、25歳になってSHを始めるのだから、SHになりきるのは難しいだろうなと思っていました。周りにはSH専門で10年やってきた選手がいますし、SHらしいプレーで勝負するよりも、自分のスタイルを出すことで新しいSH像を作れたら良いなと」

身近に偉大な先輩がいたことも急成長の要因のひとつかもしれない

――例えばどのような?
「それまでSOやCTBで、周りを活かすチャンスメークや近場の仕掛けをやっていたので、それを活かすことを考えました。今のラグビーではSHはとにかく速くパスすることが主流ですが、例えばラインアウトからボールが出たときなんかは仕掛けるスペースがある。それはSOのときから考えていたことでした。その点矢富さんも走るタイプのSHだったので、良いお手本になりましたね。仕掛け方、その中でパスをどんなタイミングで出せるか、テンポをどうやって作っていくかを教えていただきました。敵陣に入ったところで、誰にボールをキャリーさせるか、そこはFWに声をかけながらコントロールしないといけない。そこは矢富さんが長けているところなので真似ましたね」
 
――他のSHからは何か学んだことはありましたか。
「ブリン(ホール)はゲームコントロールが長けている。キックの使い方や、敵陣に入ってからの仕掛けが上手いんです。パスを出すときでも直で放すか、ちょっと動いてから放すかで、相手DFを幻惑することができる。
 他チームの選手の動きも勉強になりました。参考になったのはサンゴリアスの流大さんと齋藤直人(2023-24シーズンで退団)さんですね。対戦前に相手の分析のために映像を見るのですが、2人とも嫌らしいプレーが上手い。特に流さんはウザい(笑)、こっちがイラッとするようなプレーをする。SHとしてレベルが高いということなんですね。僕も、長谷川慎コーチなんかには『悪い男になれ、ちょいワルになれ』と言われています。あとはファフ・デクラーク(横浜E)のフィジカルですね。SHにディフェンスで身体を張る選手がいるチームは強い。僕もディフェンスではフィジカルで負けないことを意識しているし、参考になりますね」

ブリン・ホールという世界レベルのSHから多くのことを吸収した

――SHでの公式戦デビューは第4節の三重ホンダヒート戦でした。
「12月末の豊田自動織機(シャトルズ愛知)との練習試合でのプレーを評価していただいて、先発に繋がりました。試合の前に藤井さんから『ここで良かったらヒート戦のスタートもあるぞ』と言われて、自分では懸けていた思いがあったんです。
 ただ、デビュー戦の出来は100点満点なら60~70点くらい。あまり良くなかったけど、大きなミスはなく終われたので、及第点かなというくらいでした」
 
――急造SHとしては悪くないスタートでしたね。
「でも、そこからは壁を感じる場面が多かったです。先発して4戦目(第7節)の相模原ダイナボアーズ戦は、点を取ったあとにすぐ取られることの繰り返しで、経験不足、コントロール不足を痛感しました。大分の横浜イーグルス戦(第9節)もダメでした。SOには久々で復帰したサム(グリーン)が入ったのですが、全然うまくいかなくてどうしていいか分からなくなる時間がありました」
 
――そういう壁はどのように克服したのですか。
「矢富さんとたくさんしゃべりました。試合のあとは必ず『どうでしたか?』と聞きに行っていましたね。メンバーを外れたときも聞きに行ったし、横浜イーグルス戦のあとも行きました。そこで言われたのが『ハーフをやろうとしている感じがある』『型にはまろうとしている』『うまくやろうとしている』ということです。それを聞いて、僕は何を求められているのかを再確認できました」
 
――その助言が活かされた試合をあげていただくと?
「アイスタのクボタスピアーズ(船橋・東京ベイ)戦ですね。前半7-31とリードされたところから後半24点を取って追いついた試合です。僕は後半の頭から入ったのですが、SHらしさとか考えずに攻めるマインドを出せて、チームに勢いをもたらすことができたと思います。周りには強い選手がいっぱいいることは分かっていたので、その強さをどんどん使っていくことができました。

あとは、当たり前のことですが試合の前にはSOに入る選手と密にコミュニケーションを取るようにしていました。SOには家村やカケル(奥村)が入ることが多かったので、若い選手でゲームをリードしていくには、試合前にどれだけ話していたかが大きいな、パフォーマンスを左右するなと感じます。あと、コーチの(有賀)剛さんともたくさん話した方がいいなと感じていました。

インパクトメンバーが、文字通りの衝撃を与えて追いついた一戦。岡崎のインパクトも非常に大きかった

――SOとのミーティングはどのくらい、どんなことを話すのですか。
「試合ごとにコーチングスタッフから戦術のシートが来るので、それに基づいて、どのシチュエーションだったらどれをチョイスするか、戦術を出す順番や、そこで相手がこうしてきたらこうしよう…といったことを細かく話しました。最初の頃は家村とは1時間くらい話していましたし、カケル(奥村)と組むときも同じくらい時間をかけて話し合いました」
 
――自分ではSHは合っていると思いますか?
「合っていると思いますね。ハーフがというよりも、今までやってきた僕のスタイルをハーフで出せるな、チームに求められていることを出せるなと感じています。藤井さんが監督になってから、チームに勢いをもたらすプレーや姿勢が大事だと言われているので、それができるポジションだなと感じています」
 
――藤井監督の求めるイメージが岡﨑選手のキャラに合致した感じですね。
「藤井さんはアタックが好きなんだなと感じますね。セオリーで進めていくよりも、自分たちが勢いに乗るためにリスクを背負ってでもゲームを動かしていこう、それがこのチームの強みになっていくんだという意志を感じます。キツいけれど、勢いに乗ったときのみんなのプレーは見ていても面白いし、プレーしていてワクワク感がありますね。僕自身アタックが好きなので、やっていて楽しいです」

――一緒にプレーして楽しい選手の名前をあげていただけますか?
「チャールズ(・ピウタウ)にはワクワク感を覚えますね。(山口)楓斗にも。FWでは(ヴェティ・)トゥポウ、ショーン(・ヴェーテー)、シオネ(・ブナ)のパワー系トリオは試合になるとスイッチが入ってとんでもない力を発揮するのがスゴい。ワクワクします。
 
 中でもスゴいのはやっぱりチャールズですね。困ったとき、チャールズにボールを渡せば必ず何とかしてくれる。こんな手があったか?というようなオプションで局面を打開してくれる。その力があるからついつい頼っちゃってます(笑)。マロ(・ツイタマ)、ヴィリー(・タヒトゥア)もフィジカルが強いので頼りになります」

つい頼りたくなる、チャールズ・ピウタウの背中は岡﨑にとって大きかった

――来季に向けての抱負を伺いたいです。SH陣は矢富さんと吉沢(文洋)さんが引退、ブリン・ホールが退団して大幅に若返りますね。
「年長の先輩選手がごっそり抜けて、質問できる人が減っちゃったな…というのが一番の印象です。もっといっぱい話を聞ける時間があったな…と。でも、シーズンが終わってブリンと話したとき『次は対戦相手として会おう』と言ってもらえたし、その楽しみもありますね」
 
――残ったSH陣をどのように見ていますか。ライバルでもあり仲間でもありますね。
「僕より年上は稔さん(田上)だけで、去年はずっとケガしていたけど今年は治って出てくると思います。あとは去年入った北村瞬太郎、吉岡義喜、加藤大冴と急に若くなるけど、切磋琢磨して、刺激し合って強くなっていきたいです」
 
――リーグワンの各チームには筑波大で一緒にプレーした仲間もたくさん活躍していますね。
「同じSHでは東芝ブレイブルーパスの杉山優平さんが1つ上なんで、意識しますね(笑)。神戸(スティーラーズ)のWTB松永貫太は1つ下で、今年は大活躍して日本代表のスコッドにも入った。彼らの活躍に負けないように頑張りたいです」
 
――今年はブルーレヴズからも選手が日本代表候補合宿に参加していますね。
「同期のカケル(奥村)と1つ下の茂原(隆由)が合宿に呼ばれたのは嬉しいですね。先輩の桑野(詠真)さんも。自分もいずれは日本代表に行きたいという思いもあるし、2027年のワールドカップはひとつの目標。負けないように磐田でしっかりトレーニングしていこうと思います」(※その後茂原・桑野は日本代表入り)
 
――このオフは何をテーマに取り組もうと考えていますか?
「まず、ハーフとしての基礎体力を高めたいです。SHに求められる基礎的な体力、筋力の強化ですね。そこは個人で高めなければいけない部分。社業もあるので時間を作るのは簡単ではないですが、そこはしっかりと取り組みたい」
 
――会社ではどんな仕事をしているのですか。
「部署名でいうと、ヤマハ発動機の品質保証本部コーポレート品質保証部に配属されています。業務としては、社内向けに品質意識を高める研修や調整、アンケートの作成、集計、フィードバックといった作業ですね」
 
――最後に、ブルーレヴズというチームについて、3シーズンを過ごした印象を聞かせて下さい。
「このチーム、好きですね(笑)。仲が良いのはもちろんですが、キツいことに手を抜かないチームカルチャーがある。キツくても、お互いを鼓舞しながらキツいことをやり抜こうというところがある。愚痴を言うような選手は少ない。ちょっと学生っぽいところもあるんですが、みんなで同じ方向を見ようとする。良い意味で若さがある。昨シーズンの成績には満足していないけど手応えはあった。このチームで勝ちたい思いがみんな強いし、このチームで来シーズンはプレーオフに行けるという自信もある。その自信を行動に移して、強くなって結果を出したいです」

トレーニング後どこからともなく集まる仲間たち。
誰とでも同じように和気藹々と話せる雰囲気が、ブルーレヴズの強みの一つ

――若さという意味では、今季は弟の颯馬選手も入団しました。兄弟同時出場にも期待がかかります。
「それはめちゃめちゃ意識しますね、ぜひ実現したい(笑)。それが一番の親孝行だと思いますし、一緒に頑張って両親に見せたいです!」

矢富兄弟・西内兄弟、兄弟ラガーの先輩たちに続く活躍に期待がかかる!

大友 信彦(おおとも のぶひこ)
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。

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